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自作*アナライズ

作曲した内容の公開と分析です。参考となる部分があったら嬉しいです!

ユニゾンも捨てたモノではない!

以前から「そこのパートユニゾンにします!」と言うとメンバーの誰からか否定的な意見をいただくことが多かった。が、今回我が珍曲「Neo Classic Dnace」リハーサルマークD4・D5に関しては、それはあたらない。

何しろ、これだけ悩んだパートは久しぶりだ。

昔はいつものことだったが、最近はメンバーに丸投げな僕だったので、こういう悩み方というのは懐かしさをおぼえたりする。

結局、このパートをユニゾン主体(あくまでも主体です)に戻したのは、2005年時のFLAT122というベースレスギタートリオのオリジナルを基調としたということになる。

試行錯誤がループ状態となり自分ではどうにもならない!と悟った時、その作品が最初に完成をみた時点に戻ってみるのは、正しいのかも知れない。

8小節を2回繰り返す。ベースとピアノとの関係は、2回目でユニゾンの上下を交差させる。シンプル極まりないが、これが一番力が出るし、ピアノを弾いていて「うんうん!」と頷ける(笑)

ex.D4・D5:ベースライン、前半ピアノの左手とユニゾン、後半でピアノ右手とユニゾン

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よくメンバー達から言われる最もカチーンと来るお言葉(笑)

それは「何かゴチャゴチャしていてわけが分からない!」これです。

きっとどのバンドさんでもこういった意見出てないでしょうか?

実はこのような意見が出るバンドさんは健全です。バンド健康診断があるとしたら再検査がないでしょう。

さて今回のこのユニゾンに戻したのは、実は自分が「ゴチャゴチャしていて気持ち悪くなった」からなのです。

作品全体を見通すと、そのパートに納得出来る手を入れたとしても、何か散漫でメリハリがないというイメージがある。

そんな時は、間借り也にも一度CD化されたオリジナルに立ち戻るのが肝要かと思うのです。そして例えユニゾンでもそこには工夫の余地があり、深堀して行くわけです。

ピアノは上記譜面D4とD5を同時に弾いております。ベースは物理的にそんな演奏は不可能です。ということで横に並べて数少ない変化の要素としたわけです。それだけでサウンドにメリハリが付き、全体にも良い効果があったように思います。

これを明日のリハーサルで確認してみます。

ではまたお会いしましょう♬

 

その旋律って何処から来たの?

音楽の資料を用意する時、例えば現在はピアノトリオを稼働しているので(流石にこれは長く続くかも知れない。)ベースとドラムだけをリアルタイムで打込む。

手動でほぼ一筆書的に、一発で終わらせる。気に入らなかったり間違えたら最初からやり直し。体力勝負だし時間を要しますが単純明快です。

そしてプレイバックすると、ふとその旋律は何処から影響を受け、どのような道を辿って自分の指先まで到達したのだろうか?と思う。

特にベーストラック(ベーシストはこれを参照する)にはそういったポイントが散見される。

昨日、僕は息子のビッグバンド(彼はここでトランペットを担当しています。)を義理父と嫁と三人で聴きに行きました。

義理父が車の方が身体が楽で良いというので、実家の車を僕が運転して会場まで行きましたが、その道中父がずっと聴いていたのがクラシック音楽、それも全て交響曲というのが何とも大袈裟なわけですが(笑)。ドボルザーク8番(ドボハチと呼ばれたりする人気曲)、後は全てブラームスだったと思う。

それを延々と聴かされて、腑に落ちたのだった。

クラシック音楽に共感したフレーズが心に蓄積されており、それがベースラインを紡ぎ出す瞬間に出現しているのか!

ドミナントモーションで使用される経過音、そしてメジャー7thの使い方がポップスでもなくさりとてフュージョンぽくもならない、別な次元での色合い。

それは交響曲の中低域を担っているチェロ、コントラバス、管楽器であればチューバからファゴット辺り。そこを幼少の頃から、特に中学生。そして音大受験時に集中して聴いたことによる。中学一年の「ドボルザーク・新世界」、受験時の「プロコフィエフ・ピアノ協奏曲3番」は、試聴回数が度を超えており、そのためか現在この辺は滅多に聴かない。

作品内容として新機軸であること、ニュージャズ、モードの多用であることなどを主眼としている自分がベースにこのように弾いて欲しいという、根源的かつ音楽的なところでは古典の影響がドーンと出ているということを認めなければならない。

そう言えば大分前、お客様で来てくれたクラシックピアニストに感想の手紙をいただいたことがあります。そこには「あなたの音楽の根底には何と申しましょうかベートーベンが息づいておりますね。そして、そこが良かった。」と書かれておりました。

 

ex.  C-2からのベースライン48小節はF、50小節はAだが間違いなくクラシック古典的なライン

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物心のつかない小さな子供の耳から入り込んだ音の心への入り込みは半端じゃない。

そして、経験として聴いた音楽は先々某かの形で自分の個性を形成する要素となりうるわけです。また、そういった音に肯定的であり、積極的に出来るだけ自然で、キレイに響くように使ってあげたいと思うのです。古典だから古くさいということはない。それは作曲の成され方が様々なところで異なるだけです。僕は現代音楽に重きを置く人間ですが、しかしだからと言って古典から得たことは未だ大切な自分の一部だと思っております。現代に生きる僕たち音楽家の幸福は、古典から現代までの宇宙的とも言えるデータから素材を取り出し、勉強し、吸収・咀嚼して、そして創出するという醍醐味があるわけです。そこには勿論クラシック音楽だけではない、ロックやジャズも含まれてまいります。一体何をどのように判断しているやら僕の胡桃大の脳では知れているな、、とも思います。年を重ね、自分の才能の質みたいなものは朧げながら分かります。全く持って器用ではないし、無駄無くスマートにマルチに習得出来ないタイプです。人の後塵を拝するのは何時ものことです。子供の頃から。

せめて音楽を沢山聴き、勉強し、吸収して自分の引き出しが何時も賑やかであったら良いな、と願います。

マルチトニックシステムを極める

マルチトニックシステム(以下MTS)は僕が最も好きなテクニックかも知れない。

ジャズスクールに通った1年目、理論の最後で習った特殊なコードプログレッションとなる。

MTSとは、連鎖するコードの属性が全てにおいてトニックであるという意味です。

全てがトニック(主和音)であるので、誰もが知っているⅡーVーⅠというような関係性を持たない。

だからと言って、乱暴に何も考えずに和音を並べ立てて「これ一応全てトニックなんで」(笑)とか言われても困ってしまうのである。

そこには自分なりの関係性におけるルールを設定する必要がある。

分かりやすい設定は、ルート(根音)の動きに一定のインターバルを設けるというものだ。

例)下降形にて演奏される。

B♭m7.9 → Gm7.9 → Em7.9 → C#m7.9

上記の通りルートが短三度のインターバルをとっている。これによりトニック同士の関係性がないものの、音楽的な収まりが付く。

音楽の自由は須くルールがあってのものである分かりやすい事例だと思う。

ただ僕の場合は、実はもっといい加減で、実際の使い方は下記となっている。

B♭m7.9 → Gm7.9 → E♭m7.9 → C#m7.9

3番目のところが半音下にポジションをとっている。

それでいて最後は一緒なので、次半音上がった狭いポジションとなって収束する。

変則的なMTSと言える。

(2005年にリリースされたFLAT122の1stアルバムより「Neo Classic Dance」)

これは、おそらく次の2点が考えられる。

1.全てを短三度とするという無機質性を嫌ったということ。

2.ピアノの右手で奏でる旋律が主導であり、それがこの形を要求していること。

 

ex.68B→71B マイナーコードによるマルチトニックシステム(但し変則的なもの)

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まあ、作曲というのはこの辺、いい加減なものなのである(笑)聴いてしっくり来る。

自然に感じることが大切ということだろうか。

ここではマイナーコードの事例だったが、もちろん普通にメジャーコードであってもOKなのでトライしていただきたい。

また、応用例として、この1つのトニックに対して、全てドミナントを前に持って来るという方法もある。それによりトニックの響きをより強調することにもなり、音楽に大きな立体性を持たせることが可能となる。

こうしていくと、ある程度のメカニカルなテクニックは持っていた方がいいのかも知れないし、またこうしたイメージ表現につながる技術を使いたいという強い意志があって本当のテクニックが生まれて行くというのが音楽的なスタイルだと僕個人は考えております。

サウンド変化の影響

いつも音をコネクリ回しているので、サウンドに対する耳が鈍化していたように思う。

昨日のリハーサルはシンセサイザーを持ち込んだ。f:id:ktg0912:20170326094239j:plain

このようにスタジオに持ち込んだのである。下側のピアノはYAMAHA/P90というP80の後継機としてリリース、あまり見ることのない機種だが、これをPAからドーンと音を出すと実にバリバリとしたピアノらしい音がする。そしてこのピアノと上に設置したシンセを両手で、ヴォイシングを考えつつ弾くと、それはもう楽しい世界。

カラフルで、その新しいサウンドから日頃出て来ないフレーズが次々に出て来る。

これこそがシンセを使う利点だろうと思う。

何も音を分厚くするとか、ピアノだけでは少し寂しいので飛び道具をという考えではない。むしろ現代的な色合い、立体的な音を演出するための手段と考えております。

そこに使われるシンセは、やはりデジタルの匂いのあるものは違うのかも知れない。かといってモロにアナログでも困る。

ということでこのKORG・R3などは調度良い匙加減ということになる。

ただ、この中古で2万で買ったマシンはセレクターがイカレており少々危険。でも、細かいことは気にしない。次のライブでは使い切るつもり。コルグは他メーカと比較すると経年変化に弱い印象です。もう少し丈夫に造って欲しいと、ここで一言。安価なのはそのままとして(笑)、、、だからなのか?出音は良いので惜しいところです!

シンセとピアノを同時に両手で弾くのだが、僕の場合昔から左手がピアノ、右手がシンセとなる。これは理由がありそうだが、変ることは今後も無いと思う。例えシンセで低域のベースを弾くとしても右手で弾くのである。その場合ピアノは更に左方向に行くことになり、サウンドは低域、中低域の轟音となる(笑)しかし、そういったバランスのことは気にしない。そういう個性で押し切るのである。

このR3は重量が2.8kgである。素晴らしい!年寄りに優しいシンセ。ずっと使って行こうと思います。

「即興」を考えてみる

音楽における即興である。

即興というと音楽家は大体 "ひとりよがり" だから、音楽の即興でしか考えない。

僕もそうだけれど。

今、こうして書いているから、、待てよ?となる(笑)

演劇でも絵画(ペイントアーティストのような)でも即興は大いにある。

何事にも即興的にやる、、ということはあると思うし、それが上手く行く場合もあるが、駄目〜!!となると酷いことになるのも一緒だろう。

「それくらいなら決めてかかれば、、。」そういうことになってしまう。

即興においても、完全な白紙からの即興と、ある程度の流れ(進行)とテーマを決めた即興とがある。後者に関しては、驚くほど上手く行ったユニットを聴いたことがある。

確か高円寺ペンギンハウスでフロントがフルート・サックス、ピアノに「る*しろう」の金沢さんが配されておりました。まぁ、、ピアノが素晴らしいですからねぇ。。ユニット名、思い出した。「四次元」です。ドラムの沢田さんが主宰していたユニット、、と、おおっ、、芋づる式に思い出して来た(笑)

ライブにおいて、一期一会的な一発勝負は捨て難い魅力があるが、経験上これは継続するとマンネリ化する。人の考える引出しなど知れているのだ。

自由で垂れ流しの音楽の末路は聴き手からすれば拷問も良いところです(笑)

そういうことなので、即興は作曲に於ける飽和状態が叫ばれて久しい音楽を切り開く切り札的な存在(僕が言ったのではない。武満徹さんのお言葉ですね。)であることは理解出来ますが、それだけに繊細に扱いたいと思うのです。

例えば、即興はインスタントコンポーズであろうとは思います。しかし、ではそこで作曲行為をステージ上で行った場合、他のメンバーはそのトーナリティやハーモニーを一瞬で解して即座に対応出来るのでしょうか?

無理です。僕の経験上、上手く行くのは滅多にありません。

そしてこういうやり方に拘りたいのであれば、それは通常作品をさらうよりも遥かに多い即興の練習が必要となります。

即興程、回数の必要なものはないでしょう。何度も何度も条件を変えて、イメージを想定して、構成要素を考えて、楽器の出し入れを考えて、またその組合せを整理しつつリハーサルを行うことにより、即興は作品化する可能性があります。

それはマンネリ化した状態とは似て非なるものです。

耳を研ぎ澄ませて繰り返し、構成要素を精査するうちに余計なもの、不必要な欠片は削ぎ落とされ、最終的にとてもタイトでピュアな音になるでしょう。

そうした時には様々なスキルが在った方がいい。

モードのこと。ハーモニーのこと。クラシック音楽一般から現代音楽、ロック、ジャズ、民族音楽、この世に存在するあらゆるノイズ(このノイズというもの、僕は好きです)。

凡そ、この世にある音の全てを自分の脳にファイリングしているような感覚でしょうか。そういうスタンスでリハーサルを行い、柔軟で、楽しく、冷静に進行していったら良いと思います。

そして、その最終目的とは何か。

それこそが大切なこと。

言葉には曰く成り難いイメージを音によって構築すること。そういうことになると思います。楽しいことをやっているのだ、、何かこれは素敵なことだな、、そういうことが在っての音楽でありたいと思います。

結局、僕は、即興を起点として作品を生み出したいということなのか?

そんな気がして来ました。

コードオンコードでイメージ表現

コードオンコードを使って複雑なイメージ表現にトライする。

バンドでコードオンコードを使用するとベースやギターなどとの擦り合わせは必須となるが、まずは自分の中で完結させると。

自己満足を否定するのは少し変かも知れない。

やたらと「それって自己満足じゃん!」って突っ込む人がいるけれど。

それは言葉が少し足りないんだな。

「自己満足で終わっちゃつまらないでしょ。」

こう柔らかく伝えたら良いと思うんですがね。個人的には。

作曲の場合、まずスタート地点に自己満足がないと先に行けない。

自己満足は進歩の糧、大切な要素なのだ!と僕は思っております。

自分の作品、自分が褒めなくて誰が褒める?(笑)

まあ、すぐに不満が噴出するわけではありますが。

さて以下。

C/B♭m → A/Gm → F#/Em → E♭/C#m

これはコードオンコードです。

コードオンコードを単発で使用するのではなく、これをマルチトニックシステムによって連鎖させるという重層的な手法となります。

ポイントはマイナーとメジャーコードをぶつけることで、複雑なイメージ表現を可能としている、ということになります。

単に情景的なものではなく、そこに心理的なもの、瞬間的な心の動作とでも言うのか、小映画的な映像美を音楽で構築したい。

しかしここで難しいのは、これにのせるテーマ旋律となります。

自然で美しいものにするにはこのコード自体の弾かれ方と、時間をかけたテーマの入れ込みが必要となります。

これは今、即興主体の新曲の構成要素で、やはり大切なパートです。もう1つのパートと対を成しており、そちらは変化しないコードオンコードで構成されております。

この上でベース・ドラムがインスタントコンポーズ出来るように重く、ビートを感じさせる造りとしてBm/Cを使用。

2人はこのコードを聴きつつインスタントコンポーズをすることになります。

聴き手も自分達も同じく楽しめるような作品の構成、それは現場のリハーサルで決めて行きます。

緻密に全てを造り上げた以前のやり方を止めたのです。わざと隙間を造っておくというのか、作品を完成しようと思わない。バンドにおいて作品の全体像を見るという形です。

人とやる音楽はこちらの方が楽しいし、メンバーを演奏家というよりひとりの音楽家として興味を持つことが出来ます。

今年、自分の活動の中心となるピアノトリオでは、様々な手法を試しながらニュージャズとも言えるジャンルを確立したいものです。

果てのない音宇宙 - マイルス

彼のマイルスは「この世にある、あらゆる音の組合せを全て知りたい」と、言ったそうです。音楽家としては比較にもなりませんが、気持ちだけは一緒です。

 

こんにちわ!

このサイトを執筆?しておりますタカと申します。いつも読んでいただきありがとうございます。引き続き、よろしくお願い致します。

 

さて、昨日は今年からスタートさせましたピアノトリオの今年初リハーサルでございました。このピアノトリオの前に「ジャズ」と付けるかどうか、というのが実に悩ましい(笑)わけでして、流石にプログレでやってきた僕にとってもこの編成となると、音出しした瞬間に、これはもはやプログレという星から脱出して、違う星に来たなと、いう感がしました。

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▲写真 リハスタのヤマハP-90 P-80の後継モデルとしてリリース。短命で終わった。どこか野暮ったく、レスポンス鈍く、そして何故かやたらとピアノらしい音は健在。

 

それは自分のピアノに要因があるのではなく、ドラムの佐山さんがまずもってジャズドラマーだからです。彼は「自分のドラムはジャズではない」と言っておりますが、僕の立ち位置からすれば、十分にジャズなのですね。

ジャズを感じるか否か、そこには個人差が相当にあります。議論の土俵にあげるのは意味が無い気もしますが、例えばCDリリースして帯に表記される内容としてジャズという言葉がそこに在るかどうかは、案外重要という気がします。

そして、ベースの中島君は数年ぶりのスタジオ再会でしたが、演奏内容が変ったように感じました。これは彼が最近ビッグバンドに参加したり、ジャズバーでの演奏など活動をジャズ寄りにしている影響なのかも知れません。以前はずっとロック寄りだったと思いますが、弾いている内容が線的になり、ピアノやドラムに対して時折、鋭角に入り込むところがあって僕は今の彼のスタイルはなかなか良いと思います。それでいて元々の良きキャラである重く、ドッシリしたところは失っていないので。そういうことでリズム隊がジャズ方向にシフトしているので、ピアノが何を弾いてもジャズっぽくはなっちゃう、のですね。ですので、これまでやってきた僕のスタンダード曲はもしかしたら違って来るのかも知れません。しかし、それはそれで良いでしょう。素直に未来を見詰めると!!

さて昨日のポイントは、右手でC-comdim sc(つまりはCコンビネーションディミニッシュ、長過ぎるのでコンデミと呼ぶ)においてハーモニーの変更を行ったということになります。

当初は、

G♭ E♭ C A だったと。しかしこれを、、、、

Cm Am7 A7 C7 と変更した。

大きな理由として、右手のフレーズがGからのスケールとなっているのにG♭と持って来ているので、アヴォイドしているわけです。しかしそれは確信犯的なものでした。

そして現場でベースに弾いてもらうと、ベースとピアノの音のアヴォイドは想像以上に厳しく、例え理論的には協和しているはずでも、ルートやサウンド面から濁って聴こえる場合もあるわけです。ですので、コンデミのように何でもありのようなスケールにおいても注意が必要。

次に、こちらの方がむしろ僕には大切なところなのですが、このマイナーコードと7thコードをマルチトニックシステムで入れたことにより、独特な哀感が出るのですね。

それは複雑なイメージです。右手がコンデミの奇天烈な感じがあるのに、左手は陰影を演出するので、独特な表現を得ることが出来ます。厳密に言うと、この中でもアヴォイドするところはあります。それはAm7の構成音「C」です。しかしCコンデミはD♭もそして「C」も使うわけです。それにより音の流れから、全くアヴォイドには聴こえません。キレイに音楽が響いております。

調度ATGが隆盛を極めた頃の何でもないカットシーン。ざーっ!と森の木々が風に揺れて音を点てているシーンとか、横溝正史シリーズの刹那的なシーンで使われる芥川也寸志御大の音楽とか、、イメージとして近いでしょうか。

ここで教えられることは、ルートです。ルートにおいてのアヴォイドは流石にヤバい(失礼)わけです。しょっぱなでガツーンと行くと、キツイ。

しかし、それでも他の楽器、リズム等の別要素により乗り越える作曲者もおられるかもしれないし、そもそも、そのガツーンが好き!という(^^!)変態な兄さんもいらっしゃるかも知れない。

僕はどうもこの辺がボーダーラインのようでして、ここから先はサウンド面から受け付けないですねぇ。

これからこの展開部のベースラインのやりなおしを反映させ、資料を再作成してベースの中島君に送ります。

こういうパズル的な音宇宙ってのは、基本大好きなのですね。

気分転換にはいつもオセロをやる自分ですが、どこかつながっている感じです。

ではまたお会いしましょう♬