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自作*アナライズ

作曲した内容の公開と分析です。参考となる部分があったら嬉しいです!

マルチトニックシステムを極める

マルチトニックシステム(以下MTS)は僕が最も好きなテクニックかも知れない。

ジャズスクールに通った1年目、理論の最後で習った特殊なコードプログレッションとなる。

MTSとは、連鎖するコードの属性が全てにおいてトニックであるという意味です。

全てがトニック(主和音)であるので、誰もが知っているⅡーVーⅠというような関係性を持たない。

だからと言って、乱暴に何も考えずに和音を並べ立てて「これ一応全てトニックなんで」(笑)とか言われても困ってしまうのである。

そこには自分なりの関係性におけるルールを設定する必要がある。

分かりやすい設定は、ルート(根音)の動きに一定のインターバルを設けるというものだ。

例)下降形にて演奏される。

B♭m7.9 → Gm7.9 → Em7.9 → C#m7.9

上記の通りルートが短三度のインターバルをとっている。これによりトニック同士の関係性がないものの、音楽的な収まりが付く。

音楽の自由は須くルールがあってのものである分かりやすい事例だと思う。

ただ僕の場合は、実はもっといい加減で、実際の使い方は下記となっている。

B♭m7.9 → Gm7.9 → E♭m7.9 → C#m7.9

3番目のところが半音下にポジションをとっている。

それでいて最後は一緒なので、次半音上がった狭いポジションとなって収束する。

変則的なMTSと言える。

(2005年にリリースされたFLAT122の1stアルバムより「Neo Classic Dance」)

これは、おそらく次の2点が考えられる。

1.全てを短三度とするという無機質性を嫌ったということ。

2.ピアノの右手で奏でる旋律が主導であり、それがこの形を要求していること。

 

ex.68B→71B マイナーコードによるマルチトニックシステム(但し変則的なもの)

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まあ、作曲というのはこの辺、いい加減なものなのである(笑)聴いてしっくり来る。

自然に感じることが大切ということだろうか。

ここではマイナーコードの事例だったが、もちろん普通にメジャーコードであってもOKなのでトライしていただきたい。

また、応用例として、この1つのトニックに対して、全てドミナントを前に持って来るという方法もある。それによりトニックの響きをより強調することにもなり、音楽に大きな立体性を持たせることが可能となる。

こうしていくと、ある程度のメカニカルなテクニックは持っていた方がいいのかも知れないし、またこうしたイメージ表現につながる技術を使いたいという強い意志があって本当のテクニックが生まれて行くというのが音楽的なスタイルだと僕個人は考えております。

サウンド変化の影響

いつも音をコネクリ回しているので、サウンドに対する耳が鈍化していたように思う。

昨日のリハーサルはシンセサイザーを持ち込んだ。f:id:ktg0912:20170326094239j:plain

このようにスタジオに持ち込んだのである。下側のピアノはYAMAHA/P90というP80の後継機としてリリース、あまり見ることのない機種だが、これをPAからドーンと音を出すと実にバリバリとしたピアノらしい音がする。そしてこのピアノと上に設置したシンセを両手で、ヴォイシングを考えつつ弾くと、それはもう楽しい世界。

カラフルで、その新しいサウンドから日頃出て来ないフレーズが次々に出て来る。

これこそがシンセを使う利点だろうと思う。

何も音を分厚くするとか、ピアノだけでは少し寂しいので飛び道具をという考えではない。むしろ現代的な色合い、立体的な音を演出するための手段と考えております。

そこに使われるシンセは、やはりデジタルの匂いのあるものは違うのかも知れない。かといってモロにアナログでも困る。

ということでこのKORG・R3などは調度良い匙加減ということになる。

ただ、この中古で2万で買ったマシンはセレクターがイカレており少々危険。でも、細かいことは気にしない。次のライブでは使い切るつもり。コルグは他メーカと比較すると経年変化に弱い印象です。もう少し丈夫に造って欲しいと、ここで一言。安価なのはそのままとして(笑)、、、だからなのか?出音は良いので惜しいところです!

シンセとピアノを同時に両手で弾くのだが、僕の場合昔から左手がピアノ、右手がシンセとなる。これは理由がありそうだが、変ることは今後も無いと思う。例えシンセで低域のベースを弾くとしても右手で弾くのである。その場合ピアノは更に左方向に行くことになり、サウンドは低域、中低域の轟音となる(笑)しかし、そういったバランスのことは気にしない。そういう個性で押し切るのである。

このR3は重量が2.8kgである。素晴らしい!年寄りに優しいシンセ。ずっと使って行こうと思います。

「即興」を考えてみる

音楽における即興である。

即興というと音楽家は大体 "ひとりよがり" だから、音楽の即興でしか考えない。

僕もそうだけれど。

今、こうして書いているから、、待てよ?となる(笑)

演劇でも絵画(ペイントアーティストのような)でも即興は大いにある。

何事にも即興的にやる、、ということはあると思うし、それが上手く行く場合もあるが、駄目〜!!となると酷いことになるのも一緒だろう。

「それくらいなら決めてかかれば、、。」そういうことになってしまう。

即興においても、完全な白紙からの即興と、ある程度の流れ(進行)とテーマを決めた即興とがある。後者に関しては、驚くほど上手く行ったユニットを聴いたことがある。

確か高円寺ペンギンハウスでフロントがフルート・サックス、ピアノに「る*しろう」の金沢さんが配されておりました。まぁ、、ピアノが素晴らしいですからねぇ。。ユニット名、思い出した。「四次元」です。ドラムの沢田さんが主宰していたユニット、、と、おおっ、、芋づる式に思い出して来た(笑)

ライブにおいて、一期一会的な一発勝負は捨て難い魅力があるが、経験上これは継続するとマンネリ化する。人の考える引出しなど知れているのだ。

自由で垂れ流しの音楽の末路は聴き手からすれば拷問も良いところです(笑)

そういうことなので、即興は作曲に於ける飽和状態が叫ばれて久しい音楽を切り開く切り札的な存在(僕が言ったのではない。武満徹さんのお言葉ですね。)であることは理解出来ますが、それだけに繊細に扱いたいと思うのです。

例えば、即興はインスタントコンポーズであろうとは思います。しかし、ではそこで作曲行為をステージ上で行った場合、他のメンバーはそのトーナリティやハーモニーを一瞬で解して即座に対応出来るのでしょうか?

無理です。僕の経験上、上手く行くのは滅多にありません。

そしてこういうやり方に拘りたいのであれば、それは通常作品をさらうよりも遥かに多い即興の練習が必要となります。

即興程、回数の必要なものはないでしょう。何度も何度も条件を変えて、イメージを想定して、構成要素を考えて、楽器の出し入れを考えて、またその組合せを整理しつつリハーサルを行うことにより、即興は作品化する可能性があります。

それはマンネリ化した状態とは似て非なるものです。

耳を研ぎ澄ませて繰り返し、構成要素を精査するうちに余計なもの、不必要な欠片は削ぎ落とされ、最終的にとてもタイトでピュアな音になるでしょう。

そうした時には様々なスキルが在った方がいい。

モードのこと。ハーモニーのこと。クラシック音楽一般から現代音楽、ロック、ジャズ、民族音楽、この世に存在するあらゆるノイズ(このノイズというもの、僕は好きです)。

凡そ、この世にある音の全てを自分の脳にファイリングしているような感覚でしょうか。そういうスタンスでリハーサルを行い、柔軟で、楽しく、冷静に進行していったら良いと思います。

そして、その最終目的とは何か。

それこそが大切なこと。

言葉には曰く成り難いイメージを音によって構築すること。そういうことになると思います。楽しいことをやっているのだ、、何かこれは素敵なことだな、、そういうことが在っての音楽でありたいと思います。

結局、僕は、即興を起点として作品を生み出したいということなのか?

そんな気がして来ました。

コードオンコードでイメージ表現

コードオンコードを使って複雑なイメージ表現にトライする。

バンドでコードオンコードを使用するとベースやギターなどとの擦り合わせは必須となるが、まずは自分の中で完結させると。

自己満足を否定するのは少し変かも知れない。

やたらと「それって自己満足じゃん!」って突っ込む人がいるけれど。

それは言葉が少し足りないんだな。

「自己満足で終わっちゃつまらないでしょ。」

こう柔らかく伝えたら良いと思うんですがね。個人的には。

作曲の場合、まずスタート地点に自己満足がないと先に行けない。

自己満足は進歩の糧、大切な要素なのだ!と僕は思っております。

自分の作品、自分が褒めなくて誰が褒める?(笑)

まあ、すぐに不満が噴出するわけではありますが。

さて以下。

C/B♭m → A/Gm → F#/Em → E♭/C#m

これはコードオンコードです。

コードオンコードを単発で使用するのではなく、これをマルチトニックシステムによって連鎖させるという重層的な手法となります。

ポイントはマイナーとメジャーコードをぶつけることで、複雑なイメージ表現を可能としている、ということになります。

単に情景的なものではなく、そこに心理的なもの、瞬間的な心の動作とでも言うのか、小映画的な映像美を音楽で構築したい。

しかしここで難しいのは、これにのせるテーマ旋律となります。

自然で美しいものにするにはこのコード自体の弾かれ方と、時間をかけたテーマの入れ込みが必要となります。

これは今、即興主体の新曲の構成要素で、やはり大切なパートです。もう1つのパートと対を成しており、そちらは変化しないコードオンコードで構成されております。

この上でベース・ドラムがインスタントコンポーズ出来るように重く、ビートを感じさせる造りとしてBm/Cを使用。

2人はこのコードを聴きつつインスタントコンポーズをすることになります。

聴き手も自分達も同じく楽しめるような作品の構成、それは現場のリハーサルで決めて行きます。

緻密に全てを造り上げた以前のやり方を止めたのです。わざと隙間を造っておくというのか、作品を完成しようと思わない。バンドにおいて作品の全体像を見るという形です。

人とやる音楽はこちらの方が楽しいし、メンバーを演奏家というよりひとりの音楽家として興味を持つことが出来ます。

今年、自分の活動の中心となるピアノトリオでは、様々な手法を試しながらニュージャズとも言えるジャンルを確立したいものです。

果てのない音宇宙 - マイルス

彼のマイルスは「この世にある、あらゆる音の組合せを全て知りたい」と、言ったそうです。音楽家としては比較にもなりませんが、気持ちだけは一緒です。

 

こんにちわ!

このサイトを執筆?しておりますタカと申します。いつも読んでいただきありがとうございます。引き続き、よろしくお願い致します。

 

さて、昨日は今年からスタートさせましたピアノトリオの今年初リハーサルでございました。このピアノトリオの前に「ジャズ」と付けるかどうか、というのが実に悩ましい(笑)わけでして、流石にプログレでやってきた僕にとってもこの編成となると、音出しした瞬間に、これはもはやプログレという星から脱出して、違う星に来たなと、いう感がしました。

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▲写真 リハスタのヤマハP-90 P-80の後継モデルとしてリリース。短命で終わった。どこか野暮ったく、レスポンス鈍く、そして何故かやたらとピアノらしい音は健在。

 

それは自分のピアノに要因があるのではなく、ドラムの佐山さんがまずもってジャズドラマーだからです。彼は自分のドラムはジャズではない、、と言っておりますが、僕の見立ててでは、十分にジャズなのですね。

ジャズかどうか、それは自分の立ち位置によってどうにでも変ってしまうので、議論の土俵にあげるのは意味が無い気もしますが、例えばCDリリースして帯に表記される内容としてジャズという言葉がそこに在るかどうかは、案外重要という気がします。

そして、ベースの中島君は数年ぶりのスタジオ再会でしたが、随分が演奏内容が変っておりました。これは彼が最近ビッグバンドで演奏、それからジャズバーでの演奏の影響です。以前はずっとロック寄りだったと思いますが、モードで指示してもすんなり理解してくれるので、これはもう隔世の感があります。そういうことでリズム隊がジャズ方向にシフトしているので、ピアノが何を弾いてもジャズっぽくはなっちゃう、のですね。ですので、これまでやってきた僕のスタンダード曲はもしかしたら違って来るのかも知れません。しかし、それはそれで良いでしょう。素直に未来を見詰めると!!

さて昨日のポイントは、右手でC-comdim sc(つまりはCコンビネーションディミニッシュ、長過ぎるのでコンデミと呼ぶ)においてハーモニーの変更を行ったということになります。

当初は、

G♭ E♭ C A だったと。しかしこれを、、、、

Cm Am7 A7 C7 と変更した。

大きな理由として、右手のフレーズがGからのスケールとなっているのにG♭と持って来ているので、アヴォイドしているわけです。しかしそれは確信犯的なものでした。

そして現場でベースに弾いてもらうと、ベースとピアノの音のアヴォイドは想像以上に厳しく、例え理論的には協和しているはずでも、ルートやサウンド面から濁って聴こえる場合もあるわけです。ですので、コンデミのように何でもありのようなスケールにおいても注意が必要。

次に、こちらの方がむしろ僕には大切なところなのですが、このマイナーコードと7thコードをマルチトニックシステムで入れたことにより、独特な哀感が出るのですね。

それは複雑なイメージです。右手がコンデミの奇天烈な感じがあるのに、左手は陰影を演出するので、独特な表現を得ることが出来ます。厳密に言うと、この中でもアヴォイドするところはあります。それはAm7の構成音「C」です。しかしCコンデミはD♭もそして「C」も使うわけです。それにより音の流れから、全くアヴォイドには聴こえません。キレイに音楽が響いております。

調度ATGが隆盛を極めた頃の何でもないカットシーン。ざーっ!と森の木々が風に揺れて音を点てているシーンとか、横溝正史シリーズの刹那的なシーンで使われる芥川也寸志御大の音楽とか、、イメージとして近いでしょうか。

ここで教えられることは、ルートです。ルートにおいてのアヴォイドは流石にヤバい(失礼)わけです。しょっぱなでガツーンと行くと、キツイ。

しかし、それでも他の楽器、リズム等の別要素により乗り越える作曲者もおられるかもしれないし、そもそも、そのガツーンが好き!という(^^!)変態な兄さんもいらっしゃるかも知れない。

僕はどうもこの辺がボーダーラインのようでして、ここから先はサウンド面から受け付けないですねぇ。

これからこの展開部のベースラインのやりなおしを反映させ、資料を再作成してベースの中島君に送ります。

こういうパズル的な音宇宙ってのは、基本大好きなのですね。

気分転換にはいつもオセロをやる自分ですが、どこかつながっている感じです。

ではまたお会いしましょう♬

ハーモロディクスとリデァンクロマティックって?

はぁ?何それ、、って方も多いでしょう。

この2つはジャズ(と言っていいのだろうか)理論でコレ!と言われる二大難解理論です。ハーモロディクスはオーネットコールマン、リディアンクロマティックはジョーラッセがその提唱者ということになります。

 ジャズ理論という言い方は出所から分かりますが、理論にジャンルも糞もない(失礼しました!)と思いますがね。天の邪鬼なもので、すんません(>□<〃)

因にリディアンクロマティックの日本初翻訳を行ったのは武満徹さんでした。

オーネットコールマンはサックス奏者で自身の作曲、演奏の根幹を成すルールというのかメソッドというのか、確立したわけです。

ジョーラッセルは音楽家というよりは作曲家であり学者というイメージが強いです。

何故、急にこういった理論体系を持ち出したか?と言いますと、今年活動を始めたピアノトリオのドラマーの佐山さんとのFBチャットでオーネットコールマンと言われて反応したからです。根っから単純なのです〜。

正直、僕のOC(面倒なのでこのような表記にて)に対する知見は皆無に等しく、せいぜいパットメセニーOFFRAMPでオーネットにトリビュートしたという作品で間接的に訳の分からない音楽として心に刻まれた程度でした。

しかし昨晩遅くまで、その理論をネットで調べたり、音楽を聴いてみましたが、これは今更ながら驚いたというわけです。無知というのは実際罪ですね!勉強しないと駄目だな、これは!!と肝に命じた次第。年齢は関係ない、何時までも勉強なのですね。

辛く考えないでパズルを解くように楽しくまいりたいと思います。

OCの理論はサックスの運指と主音の考え方、それから彼自身の勘違いから生まれたとも言われております。楽器はご存知の通り、キーが異なります。全てがCだったら良いのになぁ、、と考えたことは誰でも経験ありでしょう。

OCはアルトサックス奏者ですが、テーナーサックスも演奏出来たそうです。そこで運指は同じながら、キーが異なる。というところからこの理論を着想したのではないか?という説があり、最もだと思います。

キーが異なると普通は移調して合わせます。B♭楽器はピアノに合わせるために長二度上げることになります。E♭楽器は短三度下げることになります。彼はそれをそのようには考えず、例えばオケとの共同作品のさいには、移調せずそのまま演奏するスタンスを採ったということになります。こうなるとハチャメチャな音楽になりますが、そこに更に自分なりのルールを設けて音を整理し、聴かれる音楽として噛み砕いたところまで持って行ったということになるのだと思います。

またOCは、ジョーラッセルの講座にも参加しており、ここから何かしらヒントを得ていた可能性も大です。

GR(こちらも面倒なのでこのように表記)の方は以前から意識されたものとして身近なものでした。リディアンスケールというモードから選ばれたひとつの旋法によって音楽を成す理論の全体を紐解くというなかなか大変な(笑)難解かつ壮大な理論ではありますが、僕は面倒は嫌いなので、自分なりに解釈しちゃってます。

クロマティックというのは半音のことです。よってこの理論の言うクロマティックとはAny keyのことであろうと思います。

他にも主要モードがある中でこのリディアンが選択されたのは、おそらく特性音である#11が12音階の支点であり橋のような役割を担っているからです。

これが在って12のキーは遺伝子の配列の如く接続されている。よってリディアンスケールほどハーモニーとの関係性が深いスケールはないと僕個人は感じます。

コードからモードを考えるのではなく、逆にモードから考えられるコード割り出すと良いと思います。

例えば、Cリディアン(特性音=F#)に類するコードは?と考えるとこの理論を整理して行くスタートラインに立つことが出来るかも知れない。

Cリディアン:CM7(#11) F#7(♭5) Am(6) D7 Em7.9

こんな感じ、、。この中でⅡ-Vを作ることが出来るコードの組み合わせがあり、そのハーモニーの展開においてCリデァンを使用すると小さな音楽のカタマリを拵えることが出来ます。(Ⅱ-V:Am(6) D7)

そしてそれをAny keyで考える。またはここにマルチトニックシステム的な考え方を導入すると更に変態な音楽になることが予想されます。

マルチトニックシステムもまたこのOCとGRとの関係性が濃いですね。

ハーモニーの展開の新機軸。全てがトニックという要素であり、そこに従来のコードの関係性を持たせない。その代わり、その根音(ルート)の変化に一定のインターバルを持たせるということです。

こうして考えるとGRと比較するとOCの方が断然、感性、直感に重きがかかっており、難解で訳が分からないというのなら実はOCの方かも知れませんね(笑)

しかし、大切なのはこうした数理的なことではなく、音楽自体です。

理論があって音楽があるのではない。理論は音楽の僕です。実際OCの音楽は素晴らしく面白く、楽しいものです。

アルバムにもよると思いますが、僕が聴いた限りでは(その演奏で紡いだされるフレーズは)よく練られたものです。

最近ECM系ばかり聴いていた僕には、ドーンとデカイ石を落とされた感じです。

ECMの多くのアーティスト達が影響を受けているわけでもあるのですが。)

難解な理論だから、音楽が比例的に素晴らしくなるという考えはないと思います。

音楽が素晴らしかった、凄かった、、何をやっているのか調べたら新機軸な理論だったという見方になるのではと。

検証と実践、先々の自分のイメージ表現のひとつの要素として理論はあるだけです。

大袈裟に頑迷に考えるのは好まないです。

若い頃、ジャズスクールで2年間理論を学びましたが、その後1年間、作曲が出来なくなった記憶があります。理論の下に自分が入ってしまうと、このようになります。

理論はあくまでもツールのひとつ。そのように考えて行きたいものです。

「聴くこと」全ては耳から

DAW(要は何でもありのシーケンサー。EFとか譜面機能とか、HDレコーディングとか)が単なるテレコとなって云々("でんでん"じゃないぞぉ)は最近の日記では好きな題材らしい。

クリックは使わないとか、バンドへの伝え方とか、まあいろいろなことで書いている。

そして作品は出来て、譜面代わりのワープロをメンバーに渡したが、さて本日は来週に迫るリハーサルに向けて、少しさらっておくか!と気合いを入れたが、、、。

クリックも小節線も不在、いつもは頼りとするリハーサルマークもない。とりあえず出来上がった作品を流して、ピアノでそれに合わるというたどたどしいアプローチで始めたのだが、、、、。

これが、つまらん!

またまた大滝じいさん+官房長・一徳さんのキンチョー「おまえの話はつまらん」(詳しくはYoutubeにてどぞ)の世界へ。

何を言っているか分からない人は、気にしなくていいです。

さて、駄目なんですね。こういう作曲の仕方のモノをテレコ代わりとはいえDAWを引っ張り出しては。

猛省しつつ、愛用のDPはすごすごと終了して、例のワープロ譜面?を画面いっぱいに広げて、これを見ながら、弾いて行きます。

ところどこに「ゆったりとした3拍子系で」とか「ここは拍子の考え方を無視して」とか説明があるところが良いですね。自分で言うのも何ですが。。

そしてこうして練習していると、余計なところ、繰り返しの要らないところ、逆に必要なところが分かって来ます。

不思議に「嵐の改訂男」はどこかへ旅立ったのか?鳴りを潜め、ハーモニーを中心とした音楽的な変更は殆どないですね。

問題は、バンドです。音源を渡してあるので、出来ない!とは言わせないぞ(笑)音を聴いて判断する。

全ては耳から。

譜面を見てとか、見た目のコード表記に右往左往しないことだ。

ワープロに書いてあるコードはあくまでもガイドとしてのものだ。

旅行ガイドを見たって、実際に現場に行かないと本当の感動は来ないだろう。

下手をするとガイドが間違っていることだってあるに違いない。

とにかく聴いて自分の行き先を判断して欲しい。

昨今、聴き倒しているECMのアーティスト達が当り前にやっていることだが、国産アーティストは、やたらと前口上が多過ぎて、アカデミックに理論を展開し過ぎる。

理論は音楽の検証のためのモノであり、更に自分が先々音楽において変化を欲するときのひとつの糧みたいなものだ。

聴いたことが何よりの真実なのだということを個人的には心に刻みたい。

さて、もう少し練習してウォーキングに出かけましょう。