自作*アナライズ

作曲した内容の公開と分析です。参考となる部分があったら嬉しいです!

バンドを想定しない考え方

約15年、殆ど同じ流れで音楽をやって来た。

つまり、まずバンドが在って音楽を作り始めるという。

自分の音楽を捻り出す前に既に、目の前にバンドが中心に居座っている感じ。

バンドが自分の音楽形態と信じ切ってやって来たのである。

まあ、そういう人は多いだろう。

ここ数年間、バンドの様々な点において疑問を感じ、また深く悩み蛇行を繰り返して来たが、ひとつの結論として、自分の置かれるべき環境が異なっているのではないか?ということ。それは言い方を変えれば、自分の環境形成があまりに下手というのか、気が利いていないというのか、そういうことだと思う。

それが、精神的な歪みをもたらし、現在の状況となってしまった。

先ほど、試しに 自作を拾い上げて、ピアノひとつでバンドを想定せず、弾いてみた。漠然と弾いたのではない。きっちりと音楽として成立し、尚かつ自分が楽しく聴けるようにもう一人の自分が聴き手として目の前に座っているイメージでアプローチした。

目がウロコだった。

まず、テンポが全く違う。これまでのテンポよりずっと遅いのにテンポ感とグルーヴ感を持っている。メトロノームで言えば「20」も違う。しかしそれで、スピードを失っているのだろうか?そんなことはないと思う。

もしかして、ドラムのSさんが感じられているのはこういうこと?と少し思う。

こう言う感じ、ああいう感じと漠然とした言い方で伝えて来るのは、こういう類いのことだ。こう言う類いの事は言葉で表すのは難しい。誤解されるのがオチというものだ。

これは、この作品を作曲した当時のコンセプトをもっと発展させたものだが、音楽のタイプとしては、ゴリゴリと人を押し倒すタイプの昨今の演奏とは全く異なる。

飄々として、軽く、軽快で、皮肉が利いている。

そう、当時の特長であるパロディ的であること、後ろからそっと忍び寄って背中をコチョコチョとくすぐるような。

異色のテクノであり、あぁ、、これが自分だったのか?

と、驚き、深い悩みが一瞬、霧散した実感があった。

しかし、分からない。今夜、帰ったらもう一度トライしてみよう!

〈帰宅した!〉

トライした。少し印象が変ったが、大体は同じだ。やはり軽快でリズムマシンが合いそうなイメージだ。実際、これを作曲した当時はライブであってもリズムマシンを使用していたのだ。わざとというより上手いドラマーさんが当時周囲に居なかったから。今はSさんが居るから、ここは少し違うところか。

自分の即興をコピーって、、辛いあるよ!

この譜面は7月8日ライブ・四ッ谷Doppo におそらく演奏すると思われる「Elegia」 のイントロパートとなります。ようやく整理が終わりました。

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珍しくシンセ両手弾きで行きます。久しぶりの譜面アップですね。何と言うか本ブログ、本筋と申しましょうか(笑)この譜面をこのままピアノで弾くとまともではない。というのは、シンセの音色が5度のインターバルを持って重なった音であり、そのサウンドに影響を受け即興的に出来たパートなのです。

(因にシンセはKORG/R3です。このシンセの出音。大好きです。今まで使った歴代シンセで一番好きかもしれない。これは別ページでご紹介しましょうか。)

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この30小節程度のパートを、一週間ほどかけてコピーしたと。

自分の即興をコピーするほど"きつい"作業はないです。

この男が如何に適当で、気分だけで弾いているか!!ということが如実に理解出来るからであり、これを譜面という実に厳しいルール枠に当て嵌めようとすると無理が出て来る。しかし出来上がっている小節線無視の音楽は、堂々と「これでいいのだ!」とバカボンパパのように言い切っているのです。なので、必死に一体どうなっているのか精査し譜面化したわけです。どうして?ライブでこの通りに弾きたいということと、ドラムの入り込みが若干必要だからです。

さて、適当に弾いた(しかし、どこやら気に入ってしまった)イントロパートを解析していくと、やはりというべきか拍子の変化がみられる。得意のご都合主義で、5拍子を挟んで3拍子へと移行し、そして最後は次に来るテーマパートに備えて4拍子に戻っておりますが、そこに2拍三連1拍三連を介して、自然な形に聴こえるようにしている。そこがポイントでもある。譜面で言うと20小節・頭でドラムのアクセントが必要であり、このパートを譜面化する要因となった重要ポイントだ。

これがクリックもなしで適当に即興で弾いて、テレコ代わりのDAWが表示している小節数など全く出鱈目なのである。

しかし、このクリックもなしで弾いたからこそこの音楽が生まれたとも言えるので、この自作のコピーは必須作業ということなのでした。

疲労感いっぱいではあるけれど、こうした流れは今後増えるに違いない。

タイトルはギリシャ語で「エレジー」つまり哀歌という意味です。

全くもって我が哀愁の音楽人生、この泥濘はどこまで続くやら、、音楽は楽しくやりたいですよね、、。

彼のコルトレーンは「私の人生にレジャーはなかった」と宣ったが、では「音楽」は楽しくなかったのでしょうかね?

分かるような気がします!きっと大変だったのでしょう(涙)

少しでも楽しく音楽を行えるよう、工夫してまいりたいと思います。

幸福な一年「音楽院・寮生活」〈後編〉

ピアノの課題曲が発表になった。

僕が受けることになったのは、東京音楽大学で記憶を辿ると以下の課題だったと思う。

ベートーベン ソナタから1曲

エチュード クレメンティ「グラドスアドパルナッスム」より連番3曲

バッハ 平均率よりフーガ 2作品より選択

こんな感じです。

僕は最初から"うっかり" をやらかして、バッハの平均率の選択を勘違いし4声の方を選択してしまった。

これはT先生に叱られたが、もう練習を初めていたのでこの"G moll"のフーガで行くこととした。もう1曲は3声であり、作品も若干取り組みやすく、先生が怒るのも無理はなかった。ただでさえ、実力のない僕が何とか一年でやりくりして音大を受けるところまで持って行くつもりなのである。

そこで冬になって、そろそろ本番が近づく頃、先生はそのまたお師匠さんであるI先生のところに僕を連れて行ったのである。

T先生というのは徹底的に贔屓する人なのである。贔屓されない生徒は悲惨だった。

ハッキリしているというか、、でも音楽をやっていく以上、先生であれ聴き手であれ、どうにかしてでも受けないと始まらないのである。

ボンヤリとして融通の利かない僕のどこが気に入ったのか知らないが、幸せなことでありとてつもなく運が良かった、ということになる。

I先生は、それは何とも凄かった。何がって、、、生徒と一緒にピアノを弾くのである。何でも弾けちゃうのである。やれやれ、、、、!!

そして、あまりの凄さに圧倒されて続かなくなって横で弾きまくっている先生を呆然と眺めていると、が落とされる「あなた、どうして弾かないの?何やっているの!!!」ドカーン、、、(笑)しかし大切なのは先生の雷はそりゃ大変なものだが、何故だか陰湿なところはひとつもない。雷なのに空は晴れ渡っているイメージ。温かく、励まされている感じがする。

レッスンが終わるとおしゃべり好きなので、お手伝いさんの悪口を言ったりする。風呂を空焚きして大騒ぎになったとか、そういう類いの話なのだが、今、推測するに先生は僕ら生徒を少しでも明るく、楽しく、前向きに音楽をやらせたかったのだと思います。

今でも先生のところに持って行ったバッハの譜面が傍らにあります。

赤鉛筆で思いっきりグリグリと書き入れている。眺めていると体温が上昇するようです。ご自宅の成城から朝霞台までの道中一体僕は何を考え、目に見える風景はどのように映っていたのでしょうか。

レッスンから寮に戻り、練習館でアップライトを弾いていると、よく周囲から「全然違う!!見違えるようだ!!」と驚かれたものです。

偉大なピアニストから鍛えられること。それは理屈抜きに何かエネルギーを分けてもらっているのかも知れません。

僕は別なページで書いたけれど、生まれ育った町の先生達を絶対に認めなかった。それは、弾いてくれなかったからです。お手本を弾けるのが先生の絶対条件と思います。弾いてくれないのは、弾けないからです。

それからしたら、T先生やI先生のお手本ぶりは神々しいばかりでした。プロの演奏を間近で見ることが出来るということ。それがどれだけ自分の力になるか。

寮生達は皆、それぞれに先生に鍛えられていたけれど、先生運というのは確実にあったと思います。

僕はその後、大学時代の一人暮らしで何故か自堕落な生活に陥り、身体を壊して散々な目に遭う事になります。

集団生活の方が向いていた。そういうことなのです。誰かに見守られ、注意され、励まされる環境。人それぞれ力の出る方向は違うでしょうけれど、僕はこの寮生活からもう少し何かを学ばなければならなかった。

自分に厳しく、自制の利くタイプなら良いでしょうけれど、僕みたいな快楽主義者は駄目です。結局数年蛇行して、ジャズスクールで目を覚ますまでは酷い有様でした。

この朝霞台の溝沼というところに在ったS学院の寮は遠い昔に解体され、跡形もありません。今、僕は成増に住んでおります。

初心に戻るには、例え景色は違っても、その場所に立ってみるのも良いかも知れません。あの時の寮生達。皆、若く、自分を信じ切っておりました。

映画にでもなりそうな、面白い話は山ほどあります。結局、受験科の寮生の合否は半々くらいだったと思います。

それでも、奴らは相変らずな調子で生きているに違いないと確信があります。キャラが濃いから敵も多く毎日がキツイかも知れない。そしてきっと、この一年間のことを時折懐かしく思い出して励まされるのではないでしょうか。

寮で使う布団を積んだコロナから降りて来た父と僕。寮の門の脇に停められた寮監の白い117クーペいすゞの名車)を見た父、、、「おおっ、、これはまた、、、!」

路肩に停めた10年も乗っている古いコロナトヨタの大衆車)。遠い晴れた午後の印象的なコントラスト。

こうして僕はいつも、強く思う。天に召される一歩手前まで諦めない。

自分のためではない。こうした周囲の事柄があったから。

幸福な一年「音楽院・寮生活」〈前編〉

垢の他人のひとつ屋根の下で過ごす。

それが合う合わないは個人それぞれの性分であり、仕方の無い事だ。

僕は父の車で上京した。トヨタ・コロナのトランクには布団が一式。

それを寮に届けるということもあり、ついでに僕も助手席に乗って上京したのだ。

朝霞台に在るそのS音楽院の寮の前に着いた時は15時くらいだったか。ナビもない遠い時代、よくもまあ地図ひとつで辿り着いたものだと思う。

緻密な頭脳の持ち主・父は前もって下調べをしていたに違いない。下調べは彼の専売特許なのである(笑)

父と僕は寮監に案内してもらいながら、丘陵地に立っている寮内の裏口から出て、山際の中腹に上がったところに位置する練習館の方へと坂を上がって行った。これから一年間、毎日のように行ったり来たりすることになる坂である。そこへ、母親に連れられた同じピアノ科の(名前は忘れてしまった)体格のガッシリとした青年が同じく見学にやって来た。

父はその母親と、楽し気に世間話をしていたが、練習館に着いた時には、二人とも少し圧倒されたようだった。

「まるで独房のようだな、、。」父は呟いていたが、僕も「こりゃ大変だ!」と感じた。2畳程度の狭い小部屋が連立しており、そこにアップライトピアノが押し込まれている。ここで一日中練習するというのだろうか?

僕は不安と後悔でどんよりとした気持ちになっていたのだが、そこに響いた一言。「あの、、練習してもいいですか?

その彼がやる気満々で聞いて来たのである。もう負けている、、、そう思いましたが、結局その彼は受験科で音大を目指すというスタンスで来たのではなかったことが後々判明し「まあその割には情熱があるわな、、」と感心と皮肉と入り交じった妙な気持ちになったものです。その景色、今となっては悲しくなるほどに懐かしい。

寮の玄関には、名札が架けられており、名前の下には専攻名が印してある。"tb"ならトロンボーン、"tp"ならトランペット、"p"ならピアノという具合に。

相部屋だったから、二段ベッドの狭い部屋で二人、1年間の共同生活をする。受験科以外に本科、教育科というのがあり、そちらの生徒は1年ということはなく2年以上はこの「辺境の地」で暮らすことになる。

僕はHというトランペット専攻の兵庫から来た青年と同部屋だった。確か入学前のソルフェージュのテストの時に、見かけた記憶があった。その時、僕は祖父に付き添われて上京したのだが、Hも祖父祖母に付き添われて来ており、明るい性分だったうちの爺ちゃんはHの祖父母と随分と盛り上がっていた。「孫が音楽が好きなもので、、、」とか「こうやってクラス分けされるのですかねぇ?」とか(笑)

この寮生活の一年、特に春から夏休みまでの3ヶ月半。どれだけの刺激が自分に与えられたか、、夏休みで帰省し床屋に行ったところ円形脱毛が発覚したくらいである。

今から思い返せば人生でこの一年というのがあるとすれば、喘息の治った小4の1年間。そしてこの音大浪人1年間の寮生活となる。〈後編に続く〉

ベースレスという事!「FLAT122」

www.youtube.com

自作アナライズという本ブログでよく僕が、私の珍作「Neo Classic Dance」と持ち出すのだけれど、それでパートの譜面を掲載したりしてもピンと来ないに違いないと思うわけです。

音楽は聴いて初めて理解、腑に落ちるというところがあり、何しろ「聴く」ことこそが中心線に在るのだと思う。

すっかりライブ垢に塗れたバンドさんは勘違いしないで欲しい。位が上なのは聴き手さんなのである。

ということでこのFLAT122。最大の特長はベースレスというところになる。

理由?ベースが居なかったのであります。

ベースを入れたくなかったわけでも、音楽的な深い理由があったわけでもない。

しかし、意外に散見されるベースレストリオは大体こういう理由です。

ベースというのはバンドでもオーケストラでも、音楽において大変重要なパートです。ベースが一体何を弾いているのか?というのは音楽の根幹を成すものであり、ライブにおいて聴き手を押し倒すのはドラマーの役割でしょうけれど、音楽(サウンド)の出来を左右しているのはベーシストの役割と思います。

その存在が無い!というのは致命的なところがあります。

そしてまた、だからこそ逆手にとってキャラの濃い音楽を構築出来るというメリットもあるわけです。

しかし、それは作曲の段階からピアニストを悩ませることになるでしょう。ベースのない必然性を作品に持たせないといけない。

耳聡い聴き手達は、すぐに「何かベース欲しいかな!」と反応しますから。

別に「耳聡い聴き手達」に媚を売るつもりはありませんが、しかしこの聴き手の意見というのが大体は的を得ていることが多いのですね。

上記の例、僕の作品は今ではピアノトリオで演奏しておりすし、これまで様々なユニットでベーシストも参加して来ました。

しかし、やはりベースレスで演奏するという緊張感、特別な感覚は次元の異なるものです。まずもって大体の作品では左手でベースラインを描かないと形になりません。

そしてまた、それがベーシストとは違う発想、ピアニストだからこその音使いが感じられると良いと思います。

ピアニストはクラシックからジャズをテクニック、コードプログレッションからモードをはじめとする理論をガッツリやったタイプが少なくないですが、そういった音をこねくり回すことにおいてはギタリストと双璧なわけです。

こう言っては失礼なのですが、ベーシストの殆どはこの理論は弱いですね。というか理論を知っていても、知っているだけで使えていない。吸収して自分のモノとして創出出来ていない演奏家が殆どです。問題発言ですがプロでもあやしい。もの凄いテクニックだな、、と思っても弾く内容はペンタトニック一発ばかりでテクニックと音楽性の驚くべき乖離があります。ドラマーは掃いて捨てるほど上手いのが多いですが、ベーシストはまだまだ発展途上という実感があります。

個人的見解ながら、海外との差はベースに在るとさえ思います。

国内において、ベースレストリオが意外に多いのもこういう下地があるからかも知れません。

そういうことで、ピアニストはとにかくベースの分も取り込んで音楽を構築することになります。ギターでベースの役割をすることも可能ですが、このFLAT122の経験から言えば、それはあまり良い結果をもたらさない。

楽器としては、ギターの方がよりベースに近いはずですが、それが良い方向に行かないのですね。またギターの音が思いの外「質感」が軽く、EFを使わない限り、またパートのフレーズによってという特殊な事情以外ではピアノが中低域を受け持った方が良い、、というのが持論であります。

FLAT122は仏先行でアルバムを2枚リリースしました。

国内ではディスクユニオンが発売しておりますが、海外国内共に評価の高い1stアルバムは残念ながら絶版となっております。ここにアップしたジャケがそのアルバム「The Waves」となります。他にも少しだけアップがあるようですので、ご興味が沸きましたら聴いてみてください。

殆ど解散状態。休眠を続けておりますが、指が回るうちに再生させたいバンドではあります。

腕の重さ・五本の指の独立

この記事は加筆・修正(2017.6.14)を行いました。

さて、、大昔のお話で恐縮でございます。音大浪人1年目のスタート。S音楽院「グレード分けのテスト」でソルフェージュEクラス」に入れられた僕でした。このEは最も下のクラス。掃溜めみたいなものでしょうかねぇ。表現は何ですけれど。AからEまで、どのクラスにおいても様々な専攻が入り乱れているわけですが、なるほどというべきか、AB辺りになるとバイオリンとか作曲とかの専攻が多いわけです。僕とはレベルが天と地ほども違う。天どころか宇宙の彼方と言った方が良いかも知れない。大袈裟な話ではなく。こういった類いの衝撃は。この先何度もでも経験することになります。そしてまずその手始めに、鬼のように恐かったT先生から徹底的にフォームを矯正されたわけです。

1.片腕の力を抜きます。

2.もう片方の腕で支えます。

3.支えを外します。

4.支えを失った腕は鍵盤に向って落下して行きます。

5.そして轟音が出ます。

※やり方に注意しないと怪我をするといけないので注意がひつようです。あまり上から、というのは止めましょう。

こうして、自分の腕の重さを認識することが大切です。

肘、手首、肩に余分な力を入れて弾いてもキレイな音も、大きな音も出ない。

腕の重さを自然なアプローチで鍵盤に到達させるフォーム造りを考えることになります。そのフォームの中で五本の指、それぞれの特性を考えるということが重要です。

人間の手というのは実際ピアノを弾く事に適しているのでしょうか?

疑問を感じるところもあります。

例えば、親指です。親指だけはその動きが異なる。大きな音も出せるけれど動きが鈍く音に小さな差異をもたせることは苦手。ポイントは横に円滑に動かせるかどうか、他の指に悪い影響を与えないよう無駄のない動きが求められます。

エストロ・ベートーベンは「ピアノを上手に弾くには親指の動きひとつだ」とおっしゃったそうです。流石です!!

そして、最もヤバい(失礼)部位。それは薬指と小指付近のバランスの悪さ。

小指は意外にそこそこの強さを持つ指ですが、薬指と連動してしまい、(薬指と共に)五本の指全体の動きを阻害するケースがある。

よって、この小指と薬指を若干持ち上がるように、手の甲を若干親指側に傾けてあげると良い。極端ではなくほんの気持ち。

それにより、手の右側付近に空間が置かれて小指の強さと薬指の繊細さが発揮出来るようになる。

油断のならない指。これは僕個人の見解となりますが「中指」です。

中心に位置し、最も長く頼りになりそうなイメージがありますが、意外に鈍く、また繊細さにも欠ける。この中指が鍵盤を叩くときの角度、形、出されている音には注意が必要ではないか、と思います。

最も強く安定しているのが一差指ですが、しかしこの指に頼り過ぎて、バランスを崩すとリズムが転ぶ危険が出て来ます。5本の指はそれぞれ持っている強さが異なりますが、持つべきイメージとしては均一、均質な音を創出するというものでしょう。そう言った場合、それをコントロールするのは「脳」です。脳が学習しフォームを修正して行きます。

それを言葉で現すのは大変難しい。

また、個人によって異なる身体のこと。筋肉、骨の形、手足のバランス、肩幅、肩から肘、手首までのそれぞれの部位の長さ、そして手の甲の広さと指の長さとのバランス。そして体重、単に体重だけではなくて、その重さがどのような成立の仕方によるものなのか?ピアノの音や演奏には、人間としての個性(キャラ)がすぐに取り沙汰されるが、人間という生物としてのピアニストが鍵盤を叩くことを考えると、少し気味の悪いところはあるものの興味深いヒントがあるように思える。

少なくとも自分の身体のことを知った上で、指を鍵盤に向って落として行く、落とした瞬間力が霧散する(ゼロとなる)一連の動きを微細に考えてみることは、そう無駄ではないのでは、、と考えたりします。

突き詰めれば、個としてのピアニストは自分の脳がコントロールし、また結果としてフィードバックされたデータから、また修正を施すという宇宙的な数のやり取りを通して深化し、フォームを確立していくものだと思います。

 

フォームをチェックするときは、まず5本の指を鍵盤にのせて、親指から小指まで順番にゆっくりと「ドレミファソ」と弾きます。

その時、上記で述べたようなそれぞれの指の役割を考えると良いでしょう。

指を上げて落として行く、その段階でどのように力が入り、どのように脱力するのかを感じ取ります。音が鳴った瞬間にはその指は完全に力が抜けており、脳は次の動作に対するコントロールを始めます。その繰返しが自然に行われ、出音が均一であることを自分の耳で掴みとりましょう。

「ピアノが上手くなるということ」は突き詰めれば自分の耳次第ということかも知れません。だからこそのソルフェージュということになるのでしょうけれど。ソルフェージュが音大受験のために在るというよりは、本当は音楽家達のウォーミングアップ、夏休みのラジオ体操みたいに気軽に実施されることが正しいのだと思います。

もう少し広げます♪「音大受験とピアノフォーム」

自作解説だけでは今ひとつ広がらないので、今回からもう少し幅を広げてまいります。

考えても見れば、音楽の進歩には様々な要素があるわけでして、理論的な解説だけではとてもカバー仕切れない。

このようなコード進行で、、と説明してもそれを弾くテクニックがないといけない。

そこで、ピアノ関係から、私がこれまで影響を受けた作品の解説、そして機材のことまで広げてまいりたいと思います。

本ページではそのカテゴリ

拡大の第一弾としましてピアノのフォームを取り上げます。

「お前がピアノの基礎か!」と実家の親には笑われそうですが、まあ。。あの人達はネットもやっておりませんので(笑)

さて、私がピアノを本格的に習い始めたのは実は上京してからなのです。

岩手の実家におりました高校時代まで若干習いましたが、長続きすることはなく止めたり、始めたりの繰返しで、高校時代を終える時点でやっていた教材はエチュードとしは(正直に申します!)チェルニー40番の34番辺り。バッハのインヴェンションに入ったばかりでした。バッハのインヴェンションには面食らっておりました。右手と左手と別々な旋律を弾くという概念が無かったもので、こりゃ大変な作品に出会したと腰を抜かしたものです(笑)。

漠然と音大に入りたかったので、父に相談しますと1年だけ時間をやるから東京で鍛えてみろ!!と言う事でした。思い出しますと寒気がして来ます。今の私なら、その辺の私大に入って卒業したら田舎に帰って父や祖父のコネで市役所に入れてもらったに違いないです。何と言う脳天気、何と言う世間知らずでしょう。

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そして父の判断で当時音大の受験科を持っていたS音楽院に入ったわけです。

そこで、ソルフェージュのイロハ。ピアノは国内においては屈指のラヴェル弾きと言われた(おそらく今もそうでしょう)T先生に師事することになりました。

この音楽院に入る直前、グレード分けのためのテストが実施されました。ピアノも任意の作品で良いから、、ということで途中まで短めに弾かされました。僕は当時やっていた中では何とか聴かせられるものと言えばハイドンソナタくらいでした。コレを弾いたのですが、途中で分からなくなってしまい、面倒なのでアドリブで終わらせました(笑)。先生方は自分の担当する生徒に関してある程度の意見、希望を伝えたか、もしくは会議みたいなものが在ったのでは?と推測されます。おそらくT先生は、僕の演奏が面白いと思ったのかも知れません。あれだけのエリート街道でやってきた先生と言うよりも「ピアニスト」が興味を持つのは、図抜けて上手いか、どうしようもなく外れたタイプということになります。言うまでもなく僕は後者です。それ以外の理由というのは、どうにも考えつかない。

とにかくこのT先生は若く可愛らしい方でしたが怒るとそれは鬼の様で、僕は一度レッスン室から追い出されたことがあります。とにかく鍛えられる!ということは、こういうことなのだ、、と今でも懐かしく思い出します。こうして1年間ピアノの基礎を叩き込まれたわけですが、その中心的な要素となるのは何と言ってもフォームです。僕がここで伝えるフォームは、自分が白紙から考えついたものではなく(このT先生のように)それ相応の先生に教えられたことを噛み砕いて自分なりに伝えているに過ぎません。

まず、フォームの中で最も大切と思われるのは椅子の高さです。

彼のホロヴィッツは椅子の高さがしっくり来なくて本番というのに観客を20分も待たせたそうです。如何にもと言う笑える伝説ですが、まあそれだけ繊細な部分であるところは確かです。椅子の高さを決めることにより、肩、肘から手首の角度、アプローチに反映されます。人はそれぞれ異なる骨の形、筋肉の質を持っている。基本的には肘から手首が鍵盤に対して水平になるところから椅子の高さを決めた方が良いと思います。

ただ、人によって椅子の高低は好みがあり、これまでライブでご一緒したピアニスト達は高い位置を好む傾向にありました。僕がもしかすると低過ぎるのかも知れない。

僕のフォームは鍵盤を鉄棒に見立てて、それにぶら下がっているイメージということになります。何故かと言いますと、僕の悪いクセで、腰が曲がりやすく、猫背で鍵盤に向う癖がある。

記憶が定かではないのですが、そこを先生に注意されているうちに椅子の高さも自然下がっていったものと思われます。また、椅子のどこに座るかも大切な重要ポイントです。椅子は座るというよりも支点がそこに在るという認識で行きましょう。ですので椅子のできるだけ前の方側に座り、座るという感覚よりは「少しだけ支えてもらう」ような認識でまいりましょう。古典のような比較的音域の狭い作品であれば深く腰掛けても影響は少ないかも知れません。また上腕の力が強いピアニストであれば、少々のことは力で持って行くでしょう。しかしベートーベンからショパンリストの活躍した時代にかけてピアノの楽器としての発展と共に使用する音域と音量の幅(ダイナミクス)が広がって行きます。ピアノの機能をより駆使した作品は、深く腰掛けてしまうと瞬時に音を掴みとることが難しくなるわけです。ベートーベンの初期のソナタ、例えば有名な8番「悲愴」あたりでも既にその傾向は顕著です。長くなって来たので脱力と指のフォームは次回にてご説明したいと思います。

ではまた♪