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自作*アナライズ

作曲した内容の公開と分析です。参考となる部分があったら嬉しいです!

川崎タカヲ3-0428ライブ

youtu.be日頃いろいろと、あーでもない、こーでもないと喋っているわけですが「そういうあなたの音楽は?」と言われ兼ねない。

そこで上記アップでござる。

これはタイトル通り、今年の4月28日ライブ。吉祥寺シルバーエレファントという、よくプログレの聖地などと言われている箱である。

しかし、僕らの音楽プログレとは違う。ニュージャズというところだろうか。

昨今のソロパートのないジャズ、ドラムンベースでグルーヴするジャズ、そういった世界に近い位置ではないかと思うが、CD店の棚に入れられるのであれば「ジャズ」としていただきたい。

ジャズもこうして変なのが出て来て活性化するのである(笑)

是非、ご試聴のほど♬

徹底的にコードを磨く

アノトリオの7月8日に予定されている2回目ライブの宿題。

ワープロでざっくりとした譜面で行ったライブだったが、僕は随分上手く行ったと思う。その3曲をもう少し煮詰めようという意見がメンバーから出された。

さて、、その3曲のうちのひとつ。

「3月」という作品。

3月のイメージは雪は霙となり、卒業した学生は大学や就職を控えて橋渡しの月となり、どちらともつかないモラトリアムの世界が展開される。

浮遊感があり、どこか微かに物悲しいイメージ。

昔、お付き合いした女性は3月生まれだった。そして嫁もまた3月生まれである(笑)

関係ないか。。

さて、コードプログレッション。

この作品の中間部のブリッジをピアノ中心のものとし、柔らかなタッチで弾きたい。

Dm+ → Cm7 → B+ → E(#9) → C7(#11)on G → E(#11) → C7(#11)on G

 

このDm+というのはオーギュメントの意味だが、普通+はメジャーコードで使用されると言う個人的認識です。それを敢えて使用したのは、AとB♭(A#)を意識的にぶつけることで、Dmと次に来るCmのサウンドの中間的な音楽をねらっている。

次のB+はCm7をトニックに想定した場合のドミナントであるGを意識している。

Gを意識したいがために+を使用しBの響きから回避を計っている。

EはBをドミナントとしたときのトニックであり、ここで一旦音楽を落ち着かせるために出現したと考えられる。C7はそこから発生したサブドミナントマイナーであり、ここでトニックEとの繰り返しとなるが、後発で出て来るEはテンションを#11に変えて、音楽的な変化をねらっている。

こう書くと、それらしく思えるが、何の事はない殆どが「こじつけ」なのかも知れない。しかし、こうしたラインが何故、どのように描かれたのかを検証するのは先々の作曲の広がりに大きく影響する。

理論は副次的なものだと思うが、しかし検証して更に音を磨き上げる「束子」みたいなものだ。たとえは悪いけれど(笑)

 

失礼しました!!(^^!)

先ほど、このブログを停止するという大ウソをアップし慌ててストップしました。

危なかった!!!!!

というのは今、ブログ、HP、SNSとワヤになっているのを整理していたわけです。

そこで本ブログもそのまな板にのせられておりましたが、何かこれだけ情報をアップしておいて、可哀想になりました(って誰が?)

そういうことで、なかなかこまめに書く時間が最近とれないのですが、継続致します。

今年からスタートしたピアノトリオで時間が埋められております。

しかしそれは健全なことです。

ブログやHPで本業?の音楽の練習、アレンジ、作曲が脇役では本末転倒でしょう。

音楽家の多くは実はこのネットにやられていると思います。

音楽家ってのは芸術家全体の中では、かなりヤバいお脳をしているので(いえいえ真っ当な方もいらしゃいます。僕のような者のことです。はい。)

ネットと音楽と入れ替わっていることに、さっぱり気付かない。

時間は有限、、大切にしたいものです。

それでも、コレというポイントはアップするよう努力したいと思います。

ではまた♬

 

ドラムアプローチ、その奥深さを教えられる。

ライブ収録を繰り返し聴き、確認し、先に活かして行くことは大切です。

必須事項と言っても過言ではないでしょう。

僕は4月28日ライブ、これは吉祥寺のシルバーエレファントというところでしたが、CDRに収録していただきました。

これが1TRにまとめられていたので、自宅で聴きながらDAWにて切り分けし、自分の聞きたくもないMC等の必要のない曲間は躊躇なく削除した上で、トラック分けしました。6曲分です。6曲目はアンコールで、これは未完成のものなのでまな板の上にはまだ載ってないのですが。

まず、こりゃ修正した方が良いという箇所、もっとアレンジしましょう!という箇所を整理しつつ、確認を進めましたが、難しいのはこのピアノトリオの場合、アレンジを深化させたから、それでは音楽も深まるのか?と言うと必ずしもそうではないということです。これはコードを単純化して自由度を上げて、メンバーに丸投げしたからこそテンションを生む、二度と起こりえない音の融合が表出しているわけです。

これをもう一度やると、また新しいことが構築されると思うのですが、そこには出来不出来というレベルの断層が生まれる。アレンジをつめると一定以上の無難な内容となる。しかし、おそらくはそれをやり過ぎると音楽が表層的となり早晩音楽ファンから三行半を突きつけられるでしょう。つまりライブ数が必要なのです。ライブとリハーサルによって、ある一定線を超えて行くものだと思います。

無論、客に媚を売っているわけではないです。が、危険なのは自分も同様にそのマンネリに飽きてしまい熱を失うということです。

よって、この精査と修正ポイントは最低限とし、そしてやる限りは徹底的に掘り下げるということになると思います。

そしてその内容も、メンバーが納得するものでなければ意味がありません。

リーダーである僕の独りよがり、自分だけが別世界に行ってしまうのはこれまでの悪癖でしたが、このピアノトリオに、それは全体許されない所行でございます。

別な言い方をすれば、今回のライブはそれだけ出来上がっていたということも言えるわけです。演奏としては馴れていないところがあり、リハーサルも後1、2回行ったらさぞや!!と言う惜しいところも散見されますが、内容としては十分だったと思います。

特に僕が気に入ったのはテンポを落とした叙情的な作品でのドラム・佐山さんの演奏です。その発想、豊かな音楽性、こちらの旋律、ハーモニーの変化に対応する、その角度の付け方。これは、少し失礼な物言いになるかも知れないけれど、これまでご一緒したドラマーさん達の誰からも聴いたことがない。

キザミを突然やめて、拍の途中から急速なダイナミクスでフィルを入れる、また頭でアクセントを同時に合わせるところをピアノとベースに任せて、その後に来る音楽的な緊張が高まるところでアクセントを入れて来る等、驚くべきアプローチでした。

何度も聴くと、その演奏が如何に僕の音楽に寄り添ったものであるか、作曲者である自分には痛いほどよく分かります。

このバンドでもまた僕は愛想をつかされて、独りっきりになるかも知れません。

しかし、遠い未来、ヨレヨレの年寄りになった僕はこの170428ライブを彼のドラムで敢行したことを良き音楽の過去として折に触れて思い起こすことでしょう。

ユニゾンも捨てたモノではない!

以前から「そこのパートユニゾンにします!」と言うとメンバーの誰からか否定的な意見をいただくことが多かった。が、今回我が珍曲「Neo Classic Dnace」リハーサルマークD4・D5に関しては、それはあたらない。

何しろ、これだけ悩んだパートは久しぶりだ。

昔はいつものことだったが、最近はメンバーに丸投げな僕だったので、こういう悩み方というのは懐かしさをおぼえたりする。

結局、このパートをユニゾン主体(あくまでも主体です)に戻したのは、2005年時のFLAT122というベースレスギタートリオのオリジナルを基調としたということになる。

試行錯誤がループ状態となり自分ではどうにもならない!と悟った時、その作品が最初に完成をみた時点に戻ってみるのは、正しいのかも知れない。

8小節を2回繰り返す。ベースとピアノとの関係は、2回目でユニゾンの上下を交差させる。シンプル極まりないが、これが一番力が出るし、ピアノを弾いていて「うんうん!」と頷ける(笑)

ex.D4・D5:ベースライン、前半ピアノの左手とユニゾン、後半でピアノ右手とユニゾン

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よくメンバー達から言われる最もカチーンと来るお言葉(笑)

それは「何かゴチャゴチャしていてわけが分からない!」これです。

きっとどのバンドさんでもこういった意見出てないでしょうか?

実はこのような意見が出るバンドさんは健全です。バンド健康診断があるとしたら再検査がないでしょう。

さて今回のこのユニゾンに戻したのは、実は自分が「ゴチャゴチャしていて気持ち悪くなった」からなのです。

作品全体を見通すと、そのパートに納得出来る手を入れたとしても、何か散漫でメリハリがないというイメージがある。

そんな時は、間借り也にも一度CD化されたオリジナルに立ち戻るのが肝要かと思うのです。そして例えユニゾンでもそこには工夫の余地があり、深堀して行くわけです。

ピアノは上記譜面D4とD5を同時に弾いております。ベースは物理的にそんな演奏は不可能です。ということで横に並べて数少ない変化の要素としたわけです。それだけでサウンドにメリハリが付き、全体にも良い効果があったように思います。

これを明日のリハーサルで確認してみます。

ではまたお会いしましょう♬

 

その旋律って何処から来たの?

音楽の資料を用意する時、例えば現在はピアノトリオを稼働しているので(流石にこれは長く続くかも知れない。)ベースとドラムだけをリアルタイムで打込む。

手動でほぼ一筆書的に、一発で終わらせる。気に入らなかったり間違えたら最初からやり直し。体力勝負だし時間を要しますが単純明快です。

そしてプレイバックすると、ふとその旋律は何処から影響を受け、どのような道を辿って自分の指先まで到達したのだろうか?と思う。

特にベーストラック(ベーシストはこれを参照する)にはそういったポイントが散見される。

昨日、僕は息子のビッグバンド(彼はここでトランペットを担当しています。)を義理父と嫁と三人で聴きに行きました。

義理父が車の方が身体が楽で良いというので、実家の車を僕が運転して会場まで行きましたが、その道中父がずっと聴いていたのがクラシック音楽、それも全て交響曲というのが何とも大袈裟なわけですが(笑)。ドボルザーク8番(ドボハチと呼ばれたりする人気曲)、後は全てブラームスだったと思う。

それを延々と聴かされて、腑に落ちたのだった。

クラシック音楽に共感したフレーズが心に蓄積されており、それがベースラインを紡ぎ出す瞬間に出現しているのか!

ドミナントモーションで使用される経過音、そしてメジャー7thの使い方がポップスでもなくさりとてフュージョンぽくもならない、別な次元での色合い。

それは交響曲の中低域を担っているチェロ、コントラバス、管楽器であればチューバからファゴット辺り。そこを幼少の頃から、特に中学生。そして音大受験時に集中して聴いたことによる。中学一年の「ドボルザーク・新世界」、受験時の「プロコフィエフ・ピアノ協奏曲3番」は、試聴回数が度を超えており、そのためか現在この辺は滅多に聴かない。

作品内容として新機軸であること、ニュージャズ、モードの多用であることなどを主眼としている自分がベースにこのように弾いて欲しいという、根源的かつ音楽的なところでは古典の影響がドーンと出ているということを認めなければならない。

そう言えば大分前、お客様で来てくれたクラシックピアニストに感想の手紙をいただいたことがあります。そこには「あなたの音楽の根底には何と申しましょうかベートーベンが息づいておりますね。そして、そこが良かった。」と書かれておりました。

 

ex.  C-2からのベースライン48小節はF、50小節はAだが間違いなくクラシック古典的なライン

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物心のつかない小さな子供の耳から入り込んだ音の心への入り込みは半端じゃない。

そして、経験として聴いた音楽は先々某かの形で自分の個性を形成する要素となりうるわけです。また、そういった音に肯定的であり、積極的に出来るだけ自然で、キレイに響くように使ってあげたいと思うのです。古典だから古くさいということはない。それは作曲の成され方が様々なところで異なるだけです。僕は現代音楽に重きを置く人間ですが、しかしだからと言って古典から得たことは未だ大切な自分の一部だと思っております。現代に生きる僕たち音楽家の幸福は、古典から現代までの宇宙的とも言えるデータから素材を取り出し、勉強し、吸収・咀嚼して、そして創出するという醍醐味があるわけです。そこには勿論クラシック音楽だけではない、ロックやジャズも含まれてまいります。一体何をどのように判断しているやら僕の胡桃大の脳では知れているな、、とも思います。年を重ね、自分の才能の質みたいなものは朧げながら分かります。全く持って器用ではないし、無駄無くスマートにマルチに習得出来ないタイプです。人の後塵を拝するのは何時ものことです。子供の頃から。

せめて音楽を沢山聴き、勉強し、吸収して自分の引き出しが何時も賑やかであったら良いな、と願います。

マルチトニックシステムを極める

マルチトニックシステム(以下MTS)は僕が最も好きなテクニックかも知れない。

ジャズスクールに通った1年目、理論の最後で習った特殊なコードプログレッションとなる。

MTSとは、連鎖するコードの属性が全てにおいてトニックであるという意味です。

全てがトニック(主和音)であるので、誰もが知っているⅡーVーⅠというような関係性を持たない。

だからと言って、乱暴に何も考えずに和音を並べ立てて「これ一応全てトニックなんで」(笑)とか言われても困ってしまうのである。

そこには自分なりの関係性におけるルールを設定する必要がある。

分かりやすい設定は、ルート(根音)の動きに一定のインターバルを設けるというものだ。

例)下降形にて演奏される。

B♭m7.9 → Gm7.9 → Em7.9 → C#m7.9

上記の通りルートが短三度のインターバルをとっている。これによりトニック同士の関係性がないものの、音楽的な収まりが付く。

音楽の自由は須くルールがあってのものである分かりやすい事例だと思う。

ただ僕の場合は、実はもっといい加減で、実際の使い方は下記となっている。

B♭m7.9 → Gm7.9 → E♭m7.9 → C#m7.9

3番目のところが半音下にポジションをとっている。

それでいて最後は一緒なので、次半音上がった狭いポジションとなって収束する。

変則的なMTSと言える。

(2005年にリリースされたFLAT122の1stアルバムより「Neo Classic Dance」)

これは、おそらく次の2点が考えられる。

1.全てを短三度とするという無機質性を嫌ったということ。

2.ピアノの右手で奏でる旋律が主導であり、それがこの形を要求していること。

 

ex.68B→71B マイナーコードによるマルチトニックシステム(但し変則的なもの)

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まあ、作曲というのはこの辺、いい加減なものなのである(笑)聴いてしっくり来る。

自然に感じることが大切ということだろうか。

ここではマイナーコードの事例だったが、もちろん普通にメジャーコードであってもOKなのでトライしていただきたい。

また、応用例として、この1つのトニックに対して、全てドミナントを前に持って来るという方法もある。それによりトニックの響きをより強調することにもなり、音楽に大きな立体性を持たせることが可能となる。

こうしていくと、ある程度のメカニカルなテクニックは持っていた方がいいのかも知れないし、またこうしたイメージ表現につながる技術を使いたいという強い意志があって本当のテクニックが生まれて行くというのが音楽的なスタイルだと僕個人は考えております。