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自作*アナライズ

作曲した内容の公開と分析です。参考となる部分があったら嬉しいです!

これはこれで時間を要するのである。

音楽の造り方、バンドに対するアプローチを大きく変えたのですが、これはこれで時間を必要とすることが分かって来ました。

しかし、その歩みは確実で、蛇行度合いというかその揺れは少ないのが良いところです。譜面は殆ど使わず、使うのはワープロ(遠い昔に死語)です。

テキストで、説明するのが僕のメンバーに対する新アプローチです。

例えば、、

「このパートはピアノは不協的に、Dm/Amのコード進行にそれぞれC#・G#、G#・E♭を付加します。」この様な感じです。

先ほど、このハーモニーのケーデンスを変えて、トーナリティがD(もしくはDm)のところで、最終的な響きをF7としましたが、これがとても良い意味でニュージャズの響きがして、おおっこんな隙間時間で最大効果(笑)と笑顔な自分です。

1日かけてもろくな結果も出ない時もあれば、こうして数分でアイデアが浮かぶ時もある。音楽が複雑に要素が絡み合った表現芸術だからでしょう。

このF7のポイントはF7はコードオンコードのボトムを受け持ち上側でGが鳴っているところです。このGはテンションはないトライアドコードで実にシンプルなものです。でhないとサウンドがまとまらない。

また、F7は「B」という#11を触っているので、この音はGにおいての3度になりますが、これを弾くと重なってしまい響きを重いものとします。

また現代的な響きから、かなり野暮ったくなるところもあり、右手でBを弾くのは避けるというところが注意点としてあります。

こうしてコードと説明を出来るだけ簡潔にして、またパートそれぞれの尺と小節線の存在を出来るだけ意識させない、設計図をピアノトリオのドラムさんとベースさんに渡します。

こうして演奏家に出来るだけその裁量を委ね、でありながらしっかり自分の造った枠内でイメージ表現するというのが自分が昨年からの蛇行の果てに捻り出した新機軸です。

譜面よりも、口伝てで、そして出来るだけイメージを伝えて音にしてもらう。

そういうことだと思います。

DAW、脱クリック、脱テーマ過多(笑)ということでしょうか。

ではまた!!

メジャーとマイナーの間

今やDAWは使い勝手の良いテレコと化して弾いた音を記録していく。

実際、僕の長きに渡る相棒であるDP。

この老舗DAWの大昔のパッケージ、取説にはオープンリールが映っていた記憶がある。

つまり新時代のテレコというわけである。

そういう感覚は僕みたいな古い年寄りなら少し懐かしみながらも持っている人が居るかも知れない。

さて、、どんどん弾いて行くのである。

現代的で自分なりに新しいイメージを創出したい場合、このところ思うところはメジャーとマイナーのどこに自分が居るのか?ということ。

これはハーモニーの問題であり、ヴォイシングの問題だ。

明るいからメジャー、暗いからマイナーというのは勿論短絡的過ぎる。

このメジャーとマイナーの調度中心に在るコードがある。

これをただコードブックに書かれている通りに弾くとえらく暗いサウンドとなる。

僕も若い頃、このコードを覚えた時、ダサイ劇伴みたいで使いたい気分には到底なれなかった。つまりmM7コードというヤツだ。

ルートからメジャー7thは普通にメジャーで弾けば明るくジャズフュージョン的な色合いを出したいのなら、安易にこれでOK(笑)と思います。これでマルチトニックシステムでもやれば、ウェザーリポート簡易版といった風合いでもある(無論、本家本元にはなりません、あれは演奏キャラがあっての世界)。

しかし3度をマイナーとするとガラリと変る。この3度をどうするかはAny key の考え方の根幹を成すものだが、これとメジャー7thを同時に鳴らすところにこのコードの特異性がある。

しかし、ここで終わらせるというのは実は勿体ないのである。

ヴォイシングと他のコード、もしくは本コード同士においてマルチトニックシステムを構築するにおいて、コードの深堀は進み、自分が現代的な方向にずんずんとシフトしていくのが分かる。

また、このハーモニーから生まれる旋律もまた異次元で、イメージ表現として、心理的な表現として深い味わいを持つものだ。

「深い味わい」何て言うと、頑迷なクラシックマニアの親爺みたいだけれど(笑)

ここにコードというものの音楽的で楽しい世界があるのは確か。

シンプルに音を追求することが良き意味で新しい音楽を創出するのだと思う。

興味が沸きましたら、是非トライしてみてください。

ではまた♬

コード表記の難しさ

ギター、ベース、鍵盤関係などのコード楽器(という言い方はともかく)が関係してくると用意する楽譜にコード表記をすることになる。

クラシック音楽ではコード表記はないけれど、バンド音楽においてメンバーとのやり取りの要素としてコードは肝となる。

特にピアニストの自分の中ではベーシスト、これほどコードを強く意識させれる楽器もない。

ピアノで作曲するが、そのピアノが奏でた音楽の響きからコードを割り出すのは意外に面倒で時間を要する作業だ。

自分の音楽作業の中では最も割り切った作業的なこととなる。

しかし、これを通らないでリハーサルは難しいだろう。

例えば、CであるのかCM7であるのか?というだけでも数分間は考えたりする。ベースがいつでもルートを弾くわけではないし、またそういう音楽をやっているのでもない。

パートによっては、ピアノがベースよりも低く潜り込み、ベースはチェロやヴィオラのイメージで演奏する場合だってある。

そう言った時に、このコードの構成音によってはベーシストが誤解したり、こちらがベースという楽器に対する知見が足りなくて、サウンドを大きく損なってしまう危険がある。実際、こういうことは日常茶飯事であり、であるからしてリハーサルでの確認とコードの擦り合わせが行われる。

こんなことを10年程度は行って来たが、最近少しづつ考え方に変化があり、メンバー対する資料の渡し方をもう少し抽象的な、隙間を大きくしたものとしたい、と思うようになった。

より演奏家のキャラが前に出るように、そして自分自身の作品に大きな振幅を持たせたいからだ。

そうした時、このコード表記というのはある面、かなり邪魔な存在となる。

メンバーは僕の渡した音から読み取って欲しい。

ガイドとして、簡単な進行表を渡すが、コードは本当にシンプルな表記であり、その音楽の捉え方は、出来る限り自分の耳を通してもらいたい。

音楽は目で見るのではなくて耳で聴くのであり、聴くことがリハーサルの根本であろうと思う。

音楽にルールは必要だが、そのルールの設定は自由なのだ。最初から全てを自由とする即興は経験から先がそれほど広くない。すぐに飽和してしまう。

自分で編み出したルールが新しい音楽を造って行くに違いない。

ということで、今年活動を始めたピアノトリオではこの新しい大らかで、メンバーに裁量を委ねる方法で進めて行きたい。

それが自分にとっても余計な負荷を無くし、最も中心に置きたいピアノ演奏と音使いに気持ちを持って行けるのだ。

早くこのようにすれば良かったのに、、と思う今日この頃であります。

おそらく、この先ずっと、、、。

youtu.be

あまり言い切るものではないと思う。自分が嘘つきになっちゃうから。

とはいえ、このFLAT1-22ってのは2005年5月から始まった由緒あるバンドなんだね。

でも、いろいろあって、こうしてメンバーが僕以外変ってしまった。

というか、すっかり休眠してこのままでは眠ったまま死んでしまいそうだったので、叩き起こして再生させたというわけだ。

名付け親の自分としては我慢出来なかったのだね。

再生は本当はベースレスギタートリオというFLAT122の最たる特長を踏襲したかったのですが、まあそれは当然のことではありました。ギタリストを探すために1ヶ月かけてデモを作ったくらいですから。

しかし無視されたり、断られたり、腰が引けたりと様々な理由(しかし似たような理由でしょ、、今、こうして思い返すと)で頓挫した。もうね、二度とやりませんから。ギタリストとは。

ギターと聞いただけで瞬間湯沸し器に変身出来ますから、おそらくしばらくは。

さてそのギターの代わりに、渡仏してしまわれた筒井嬢(クラリネットの天才です)の紹介で同じくクラリネット奏者の西村さんをお誘いし、烏頭という猛毒ユニットのドラマーの佐山さんをプラモデルつながりで無理やりお誘いし、でっち上げもイイところでFLAT1-22を復活させました。もう練習をしておりますが、来年レコーディング出来ればと思います。そのリハの様子が上記Youtubeとなります。まだ2回目ですが、段々ターボが効いてまいりました。

譜面で追い込むのではなく、それはメモ程度で、後は相談で練り上げたいですね。

そもそも私、譜面が嫌いなので。

ウソ付け!という声が聞こえましたが、否!!本当に。

譜面のあるのは5曲もあれば良いでしょう。

あとは、あーだ、こーだ、と議論してバンドで作品化したらいいでしょう。

それこそがバンドってもんです。

ではまた♬

Spiralをこの編成でやるってか?

クラリネット、ピアノ、ドラム、、、だけ。

こういうバンドです

https://youtu.be/4FwYegY7UuY

これでSpiralという小生の作曲した中では無用に長いうどの大木のような曲。

これをこのキチガイみたいな編成で演奏するわけです。

リハーサル進めております。

もはや、バンドの悩みはない。自分のピアノのことだけです、頭の中は。

この編成はピアノがガッツリ弾かないと保たない。

音楽ファンからすると、ピアノのお好きな人向きだろうと思う。

クラリネットの西村さん、ドラムの佐山さんは、もの凄い腕っこきだが、ピアノがしっかりしないと、これぞ本当の「宝の持ち腐れ」となる。

Spiralは各パートをとことん改良(悪)した。ハードルは高く、とてつもなく難しい。しかし難しいことを目的にしたわけではない。念のため。

佐山さんが言っていたが、これは回数だろうと。回数をこなして固めて行く。そうなると、本当に良い感じになってくるのは来春くらいだろうと察しは付く。

最も大きく変わったパートは、まずエンディングである。これは6拍子なのだが、ピアノは変な割り方をしているので、一人苦しんでいる。二人は楽に演奏しているように見える。6拍子、つまり12/16を5/16+7/16としているのだ。このリフが大変弾き難い。特に左手が付いて行かなくなる。しかもパートの4/8小節目に、3/16×4という割り方の変化を付けている。突然素早いワルツが出て来るのは、ELPなんかが得意とするところだ。

ex01.Spiral エンディングパート このバンドに合わせて新しく造り変えた。

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ex02.Spiral ミニマルパート 11拍子部分だがオリジナル(1stアルバム時)に戻した!

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変更点は山ほどある。この2カ所はほんの一部分となる。とにかく何度も反復練習して眠っていても弾けるようなイメージまで行きたいと思います♬

今年復活劇は上手くいく?

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この低域の支え方。

これが何を意味するのか?

これだけ左手が下まで行っているのは、クラシックかバンドであればベースレスということになる。

最近のユニット(バンドではない、ユニットである)ではなかった譜面面(ふめんづら)となる。ピアノの教則本で言えば、ソナチネとかソナタの中級までくらいのテクニックで弾ける筈だ。B-1からのテーマ。「Neo Classic Dnace」である。

ハーモニーはA♭-D7という若干奇天烈なリピートを用いていたが、今回のセッションに合わせて大幅に変えた。

しかし、テーマや曲の進行、各パートの尺は全く変えていない。

改訂することが悪いとは思わないが、やり過ぎはメンバーに嫌われる。

展開部や更にその後出現する、ポリリズムはもう少し技術的に難しくなる。

まあ、それでもベートーベンの中級レベルのソナタが弾けるなら、問題なくアプローチ出来ると思う。大体僕が弾いて造ったのだ。そんなところだろう。

因に、ベートーベンのピアノソナタ中級レベルは、僕の見立てでは17番のテンペストくらいだろうか。いやいや安易な見解かも知れない?テンペストだって十分に難しい。

それにしてもA♭で始まったのだから長年キーがこれだと思っていた。

ところが今回ハーモニーを見直してみると、実はこれはE♭であり、つまりは4度(サブドミナント)で入っていたことにある。

A♭に対してテーマはDの連打で始まるので、響きがリディアンとなり、長くコレをモード的なアプローチと解釈していた。

こうしてリアレンジの終了した本作品を今、練習中である。

ベースレスのところを支え切るので、ハードルがえらく高い。

ようやく始まったリハーサルですが、とにかく頑張りたいと思います。

 

作品の構成で深い悩み。

悩みと言っても、これも楽しいことなのかも知れない。

今、鍵盤×2、ドラム×1という編成のために、以前バンドでやっていた「Blue M.S.」という作品を白紙からやり直しています。

原曲を活かし切るという手も考え、途中まで進めましたが、中止と。

自分の最近の悩み、自分のここを変えたいというところからです。

それは構成キャラとも言うべきもの。

自分の作品の根幹に関わるところかも知れませんが、このテーマ過多で複雑と言われて来た訳の分からない構築性とも言うべきところにメスを入れようと思っているわけです。

作品において、一体自分は何を伝えたいのか?

そしてその伝えたいところを押出すパート、その中心となるパートを何処に置き、それはどのような出現の方法をとり、周りを固める形をどのようにイメージするのか。

そういうことをまず感性とか直感ではなく、しっかり考えてから取り組みたいと思うわけです。感性・直感は僕がこれまで最も大切にしてきた要素ですが、しかしこれは大袈裟に考えなくても、旋律を捻り出す時には勝手に主力を担うわけです。

それは誰でも共通してます。旋律が生まれる時は誰もが何かしらの感性が働いているはずです。日頃の生活、見聞、思想、旋律を奏でているときの温度、湿度、体調、そして最も重要なのは自分が一体どういうものを表現したいと思っているのかというヴィジョン、そういった多彩な要素によって作曲家の個性は興味深いほどに異なるわけです。

 

さて、せっかく捻り出したテーマを幾重にもつなげて行くのは、面白いと言えばそうなります。しかし、イメージ表現からすると方向性を朧げなものとし、聴き手が得ようとするフォーカスを難しいものとしてしまいます。

強いテーマは(それがしっかりしたモノであれば)1、2点で良いというのが今の考え方です。

そして言いたいことが終わったら、とっとと終わらせると。

いつまでもダラダラと続けない。

作曲中、別テーマが出て来たら、それは記録しておき、別な作品とする。

あくまでも1テーマをどのように押し出し、それをどのように聴かせ、始点から終点までのラインを描くのかに知恵を絞るということになります。

今、作業している作品は、ですからプロトタイプと言っても良いのかも知れません。

自動車の生産においてもプロトタイプというのは必要です。

こんなデザインがユーザに受け入れられるか?という不透明性がある場合、採算をある程度度返しして、プロトタイプを市場に投入してみます。

かつてトヨタはスポーツタイプのセリカにそのような役割を与えていたと聞きます。

なるほど、言われてみれば、あの車はトヨタにしてはデザインに冒険がみられました。

 

僕の作業は、自分のこれまでの作品性を大きく否定することにより、昨今、辟易していた自分のオリジナル性に変革をもたらしたいと考えております。

本日もオリンピックに気を取られながらも(笑)何とか、作業を続けて行きたいと思います。

ヒントとなるのは、完成させようと思うわないこと。未完成で止めて、後の隙間をバンドで埋めるように音楽の枠を調整することです。

作曲家が全て重箱の隅をつつくようにやるのは、ライブを繰り返して行く段階においてマンネリ化するので(僕にとっては)最近の自分にとっては面白いやり方とは到底言えない。メンバーに重要なところを委ねてしまうのはそのご一緒するメンバーの力量が必要です。あるところでは自分より遥かに力のある方でないと難しいかも知れない。しかし、この鍵盤のもう一方であり富山さんと、ドラムの田辺君は、そうした条件を十分に満たすだけテクニックと(ここが肝心ですが)自由度と柔軟性を持っております。

僕が望むのはもはや演奏家ではないのかも知れない。同じスタンスをとれる音楽家ということになるのだと思います。

 

ではまた♬