自作*アナライズ

作曲した内容の公開と分析です。参考となる部分があったら嬉しいです!

ハーモロディクスとリデァンクロマティックって?

はぁ?何それ、、って方も多いでしょう。

この2つはジャズ(と言っていいのだろうか)理論でコレ!と言われる二大難解理論です。ハーモロディクスはオーネットコールマン、リディアンクロマティックはジョーラッセがその提唱者ということになります。

 ジャズ理論という言い方は出所から分かりますが、理論にジャンルも糞もない(失礼しました!)と思いますがね。天の邪鬼なもので、すんません(>□<〃)

因にリディアンクロマティックの日本初翻訳を行ったのは武満徹さんでした。

オーネットコールマンはサックス奏者で自身の作曲、演奏の根幹を成すルールというのかメソッドというのか、確立したわけです。

ジョーラッセルは音楽家というよりは作曲家であり学者というイメージが強いです。

何故、急にこういった理論体系を持ち出したか?と言いますと、今年活動を始めたピアノトリオのドラマーの佐山さんとのFBチャットでオーネットコールマンと言われて反応したからです。根っから単純なのです〜。

正直、僕のOC(面倒なのでこのような表記にて)に対する知見は皆無に等しく、せいぜいパットメセニーOFFRAMPでオーネットにトリビュートしたという作品で間接的に訳の分からない音楽として心に刻まれた程度でした。

しかし昨晩遅くまで、その理論をネットで調べたり、音楽を聴いてみましたが、これは今更ながら驚いたというわけです。無知というのは実際罪ですね!勉強しないと駄目だな、これは!!と肝に命じた次第。年齢は関係ない、何時までも勉強なのですね。

辛く考えないでパズルを解くように楽しくまいりたいと思います。

OCの理論はサックスの運指と主音の考え方、それから彼自身の勘違いから生まれたとも言われております。楽器はご存知の通り、キーが異なります。全てがCだったら良いのになぁ、、と考えたことは誰でも経験ありでしょう。

OCはアルトサックス奏者ですが、テーナーサックスも演奏出来たそうです。そこで運指は同じながら、キーが異なる。というところからこの理論を着想したのではないか?という説があり、最もだと思います。

キーが異なると普通は移調して合わせます。B♭楽器はピアノに合わせるために長二度上げることになります。E♭楽器は短三度下げることになります。彼はそれをそのようには考えず、例えばオケとの共同作品のさいには、移調せずそのまま演奏するスタンスを採ったということになります。こうなるとハチャメチャな音楽になりますが、そこに更に自分なりのルールを設けて音を整理し、聴かれる音楽として噛み砕いたところまで持って行ったということになるのだと思います。

またOCは、ジョーラッセルの講座にも参加しており、ここから何かしらヒントを得ていた可能性も大です。

GR(こちらも面倒なのでこのように表記)の方は以前から意識されたものとして身近なものでした。リディアンスケールというモードから選ばれたひとつの旋法によって音楽を成す理論の全体を紐解くというなかなか大変な(笑)難解かつ壮大な理論ではありますが、僕は面倒は嫌いなので、自分なりに解釈しちゃってます。

クロマティックというのは半音のことです。よってこの理論の言うクロマティックとはAny keyのことであろうと思います。

他にも主要モードがある中でこのリディアンが選択されたのは、おそらく特性音である#11が12音階の支点であり橋のような役割を担っているからです。

これが在って12のキーは遺伝子の配列の如く接続されている。よってリディアンスケールほどハーモニーとの関係性が深いスケールはないと僕個人は感じます。

コードからモードを考えるのではなく、逆にモードから考えられるコード割り出すと良いと思います。

例えば、Cリディアン(特性音=F#)に類するコードは?と考えるとこの理論を整理して行くスタートラインに立つことが出来るかも知れない。

Cリディアン:CM7(#11) F#7(♭5) Am(6) D7 Em7.9

こんな感じ、、。この中でⅡ-Vを作ることが出来るコードの組み合わせがあり、そのハーモニーの展開においてCリデァンを使用すると小さな音楽のカタマリを拵えることが出来ます。(Ⅱ-V:Am(6) D7)

そしてそれをAny keyで考える。またはここにマルチトニックシステム的な考え方を導入すると更に変態な音楽になることが予想されます。

マルチトニックシステムもまたこのOCとGRとの関係性が濃いですね。

ハーモニーの展開の新機軸。全てがトニックという要素であり、そこに従来のコードの関係性を持たせない。その代わり、その根音(ルート)の変化に一定のインターバルを持たせるということです。

こうして考えるとGRと比較するとOCの方が断然、感性、直感に重きがかかっており、難解で訳が分からないというのなら実はOCの方かも知れませんね(笑)

しかし、大切なのはこうした数理的なことではなく、音楽自体です。

理論があって音楽があるのではない。理論は音楽の僕です。実際OCの音楽は素晴らしく面白く、楽しいものです。

アルバムにもよると思いますが、僕が聴いた限りでは(その演奏で紡いだされるフレーズは)よく練られたものです。

最近ECM系ばかり聴いていた僕には、ドーンとデカイ石を落とされた感じです。

ECMの多くのアーティスト達が影響を受けているわけでもあるのですが。)

難解な理論だから、音楽が比例的に素晴らしくなるという考えはないと思います。

音楽が素晴らしかった、凄かった、、何をやっているのか調べたら新機軸な理論だったという見方になるのではと。

検証と実践、先々の自分のイメージ表現のひとつの要素として理論はあるだけです。

大袈裟に頑迷に考えるのは好まないです。

若い頃、ジャズスクールで2年間理論を学びましたが、その後1年間、作曲が出来なくなった記憶があります。理論の下に自分が入ってしまうと、このようになります。

理論はあくまでもツールのひとつ。そのように考えて行きたいものです。

「聴くこと」全ては耳から

DAW(要は何でもありのシーケンサー。EFとか譜面機能とか、HDレコーディングとか)が単なるテレコとなって云々("でんでん"じゃないぞぉ)は最近の日記では好きな題材らしい。

クリックは使わないとか、バンドへの伝え方とか、まあいろいろなことで書いている。

そして作品は出来て、譜面代わりのワープロをメンバーに渡したが、さて本日は来週に迫るリハーサルに向けて、少しさらっておくか!と気合いを入れたが、、、。

クリックも小節線も不在、いつもは頼りとするリハーサルマークもない。とりあえず出来上がった作品を流して、ピアノでそれに合わるというたどたどしいアプローチで始めたのだが、、、、。

これが、つまらん!

またまた大滝じいさん+官房長・一徳さんのキンチョー「おまえの話はつまらん」(詳しくはYoutubeにてどぞ)の世界へ。

何を言っているか分からない人は、気にしなくていいです。

さて、駄目なんですね。こういう作曲の仕方のモノをテレコ代わりとはいえDAWを引っ張り出しては。

猛省しつつ、愛用のDPはすごすごと終了して、例のワープロ譜面?を画面いっぱいに広げて、これを見ながら、弾いて行きます。

ところどこに「ゆったりとした3拍子系で」とか「ここは拍子の考え方を無視して」とか説明があるところが良いですね。自分で言うのも何ですが。。

そしてこうして練習していると、余計なところ、繰り返しの要らないところ、逆に必要なところが分かって来ます。

不思議に「嵐の改訂男」はどこかへ旅立ったのか?鳴りを潜め、ハーモニーを中心とした音楽的な変更は殆どないですね。

問題は、バンドです。音源を渡してあるので、出来ない!とは言わせないぞ(笑)音を聴いて判断する。

全ては耳から。

譜面を見てとか、見た目のコード表記に右往左往しないことだ。

ワープロに書いてあるコードはあくまでもガイドとしてのものだ。

旅行ガイドを見たって、実際に現場に行かないと本当の感動は来ないだろう。

下手をするとガイドが間違っていることだってあるに違いない。

とにかく聴いて自分の行き先を判断して欲しい。

昨今、聴き倒しているECMのアーティスト達が当り前にやっていることだが、国産アーティストは、やたらと前口上が多過ぎて、アカデミックに理論を展開し過ぎる。

理論は音楽の検証のためのモノであり、更に自分が先々音楽において変化を欲するときのひとつの糧みたいなものだ。

聴いたことが何よりの真実なのだということを個人的には心に刻みたい。

さて、もう少し練習してウォーキングに出かけましょう。

アイデアの記録

音楽においての良き理解者であり、ライバルであり、喧嘩出来る珍しい存在でもあるギタリストのHから、よく言われていたことに「リハーサル時、手慣らしで何となく弾いていることに良いテーマがあるのに、、勿体なくないか?」

始終言われておりました。

天の邪鬼で人の言うことを聞かない僕ですが、ここ数年、これは自分の音楽にとって大切なことなので、素直に実行しております。

と言って、アイデアを作品化するのは意外に難しいのです。

何も考えず気持ちで、自分の手が勝手に鍵盤を触って行くのを他人事のように眺めているだけなので、後々何をやっているのか、またシーケンサーは回しておりますが、クリックを使っては良いものが出来ないのです。

小節にのっていないので、頭がどこなのか精査が必要だったり、自分でもびっくりな恐ろしい程細かい変拍子のチェンジが行われていたりします。それは大体においてどのテイクでもそうです。

聴いて、確かに楽しい!

そして音楽的で、内容を持っている。日頃作曲しているものより遥かに満足の行くアイデアの宝庫がそのシーケンスの中に在ります。

最近は、後々整理を行いやすいようにイメージに近いタイトルを付けたり、ファイルネームで追込しやすいように、そこから作品化出来るように囁かな工夫を施しております。

作曲アイデアの特長はおそらくリズムにあります。

その解き放たれた自由なリズムアプローチ。しかしして一体どのようにバンドの連中にやらせるのか?

自分なりに理解して、追い込まないと、それはアイデアのままであり。作品とは言えない。音楽ファン達に聴いていただくなんて、先の先です。

しかし、この自分を解放された起点から音楽を紡ぐことの純粋さには何を持ってしても代え難いところがある。

先ほど、このアイデアを12テイクほど30分くらいで聴き、自分の中で◎、▲、Xとマークを付けて行きました。◎はライブに使いたいというもの。4/28ライブに2曲程度足りていなかったので調度良いのです。

それにしても、今週の土日は大変です。この自由に弾いただけの音の洪水を整理してタイトルを持った作品としなければなりません。

頑張りたいと思います♪

12/8+11/8-つまり脳を分けると(@д@)/

現代音楽で確かあったような、、。指揮者が右手と左手で違う拍子を振らないといけないという難題が。作曲家・作品、誰でしたっけ?教えていただければ、少し嬉しい。

不勉強を曝け出すようで、カッコ悪いなぁ、、笑

アノトリオをやるのは良いけれど、4/28ライブで演奏予定の手垢が5cmくらい付いた我が愚かな息子「neo classic dance」あーぁ、、またこれやるのか?と思うのだけれど、しかしピアノはそこそこ難しく、自分のためにはなりそうだ。

メンバーのためになるかどうかは微妙(笑)

ピアノが一番大変なことになっているので楽に感じる可能性もありか。

これが出現するのは曲の調度ヘソの部分にあたる展開部で、左手を11拍子、右手を12拍子で、全く違う曲を弾くという変態ここに極まる的なパートである。

これを今、練習していたのだが、実際これを作った方(自分)は頭がおかしいのでしょうね。ただこれがオリジナルというところはおさえておいたほうが良い。

もともとはギターとピアノで分けてやっていたのだが、ギターがいないし、ベースでこれをやると凄く変!!!!

ベースは11拍子のリフをベースらしく弾くのが理想。

もうピアノで両方をやるしかないのである。

 

▼Neo Classic Dance より展開部。譜面は11拍子で記譜されている。

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上図のように、右手が8分音符1コづつズレて行く。よって1小節のフレーズも変化していくと。12拍子で表現すると今度は11拍子の方がズレて行く。

大体、この11と12を一緒にするなど、全く何も考えていないか、頭のネジがいくつか違う色のヤツが入っている人の行為だと思う。

そしてこれを必至に練習する拙者。力なく笑うしかない (;´∀`)

この譜面の通り、右手はディミニッシュスケールで組み立てております。

(仏ではMODE2と呼ぶという話をクラリネットの筒井嬢から聞いたことがあります。)

でいて左手は、E/GmM7/E/Dという全く違う楽曲。アヴォイドするとかそういうのは通り越して、もう次元が異なる作品が同時に鳴っていると。これはおそらく無理に正論に持って行くとすれば、映画やドラマで見受けられるオーバーラップシーンや、確信犯的に違ったものを重ねて多層的なイメージを演出するというところから来ていると思われます。実際、個人的にビデオや映画の音楽をやっていたことがあり、わざとこのような使い方をする!ということを現場で見て来たのですね。そういうところからの影響があるのかも知れない。若干無理がありそうですが。

おそらく今回ライブでピアノ的にもっとも難儀なのはこの作品と思います。

仕方がない、もう少し頑張りましょうか。

これはこれで時間を要するのである。

音楽の造り方、バンドに対するアプローチを大きく変えたのですが、これはこれで時間を必要とすることが分かって来ました。

しかし、その歩みは確実で、蛇行度合いというかその揺れは少ないのが良いところです。譜面は殆ど使わず、使うのはワープロ(遠い昔に死語)です。

テキストで、説明するのが僕のメンバーに対する新アプローチです。

例えば、、

「このパートはピアノは不協的に、Dm/Amのコード進行にそれぞれC#・G#、G#・E♭を付加します。」この様な感じです。

先ほど、このハーモニーのケーデンスを変えて、トーナリティがD(もしくはDm)のところで、最終的な響きをF7としましたが、これがとても良い意味でニュージャズの響きがして、おおっこんな隙間時間で最大効果(笑)と笑顔な自分です。

1日かけてもろくな結果も出ない時もあれば、こうして数分でアイデアが浮かぶ時もある。音楽が複雑に要素が絡み合った表現芸術だからでしょう。

このF7のポイントはF7はコードオンコードのボトムを受け持ち上側でGが鳴っているところです。このGはテンションはないトライアドコードで実にシンプルなものです。でhないとサウンドがまとまらない。

また、F7は「B」という#11を触っているので、この音はGにおいての3度になりますが、これを弾くと重なってしまい響きを重いものとします。

また現代的な響きから、かなり野暮ったくなるところもあり、右手でBを弾くのは避けるというところが注意点としてあります。

こうしてコードと説明を出来るだけ簡潔にして、またパートそれぞれの尺と小節線の存在を出来るだけ意識させない、設計図をピアノトリオのドラムさんとベースさんに渡します。

こうして演奏家に出来るだけその裁量を委ね、でありながらしっかり自分の造った枠内でイメージ表現するというのが自分が昨年からの蛇行の果てに捻り出した新機軸です。

譜面よりも、口伝てで、そして出来るだけイメージを伝えて音にしてもらう。

そういうことだと思います。

DAW、脱クリック、脱テーマ過多(笑)ということでしょうか。

ではまた!!

メジャーとマイナーの間

今やDAWは使い勝手の良いテレコと化して弾いた音を記録していく。

実際、僕の長きに渡る相棒であるDP。

この老舗DAWの大昔のパッケージ、取説にはオープンリールが映っていた記憶がある。

つまり新時代のテレコというわけである。

そういう感覚は僕みたいな古い年寄りなら少し懐かしみながらも持っている人が居るかも知れない。

さて、、どんどん弾いて行くのである。

現代的で自分なりに新しいイメージを創出したい場合、このところ思うところはメジャーとマイナーのどこに自分が居るのか?ということ。

これはハーモニーの問題であり、ヴォイシングの問題だ。

明るいからメジャー、暗いからマイナーというのは勿論短絡的過ぎる。

このメジャーとマイナーの調度中心に在るコードがある。

これをただコードブックに書かれている通りに弾くとえらく暗いサウンドとなる。

僕も若い頃、このコードを覚えた時、ダサイ劇伴みたいで使いたい気分には到底なれなかった。つまりmM7コードというヤツだ。

ルートからメジャー7thは普通にメジャーで弾けば明るくジャズフュージョン的な色合いを出したいのなら、安易にこれでOK(笑)と思います。これでマルチトニックシステムでもやれば、ウェザーリポート簡易版といった風合いでもある(無論、本家本元にはなりません、あれは演奏キャラがあっての世界)。

しかし3度をマイナーとするとガラリと変る。この3度をどうするかはAny key の考え方の根幹を成すものだが、これとメジャー7thを同時に鳴らすところにこのコードの特異性がある。

しかし、ここで終わらせるというのは実は勿体ないのである。

ヴォイシングと他のコード、もしくは本コード同士においてマルチトニックシステムを構築するにおいて、コードの深堀は進み、自分が現代的な方向にずんずんとシフトしていくのが分かる。

また、このハーモニーから生まれる旋律もまた異次元で、イメージ表現として、心理的な表現として深い味わいを持つものだ。

「深い味わい」何て言うと、頑迷なクラシックマニアの親爺みたいだけれど(笑)

ここにコードというものの音楽的で楽しい世界があるのは確か。

シンプルに音を追求することが良き意味で新しい音楽を創出するのだと思う。

興味が沸きましたら、是非トライしてみてください。

ではまた♬

コード表記の難しさ

ギター、ベース、鍵盤関係などのコード楽器(という言い方はともかく)が関係してくると用意する楽譜にコード表記をすることになる。

クラシック音楽ではコード表記はないけれど、バンド音楽においてメンバーとのやり取りの要素としてコードは肝となる。

特にピアニストの自分の中ではベーシスト、これほどコードを強く意識させれる楽器もない。

ピアノで作曲するが、そのピアノが奏でた音楽の響きからコードを割り出すのは意外に面倒で時間を要する作業だ。

自分の音楽作業の中では最も割り切った作業的なこととなる。

しかし、これを通らないでリハーサルは難しいだろう。

例えば、CであるのかCM7であるのか?というだけでも数分間は考えたりする。ベースがいつでもルートを弾くわけではないし、またそういう音楽をやっているのでもない。

パートによっては、ピアノがベースよりも低く潜り込み、ベースはチェロやヴィオラのイメージで演奏する場合だってある。

そう言った時に、このコードの構成音によってはベーシストが誤解したり、こちらがベースという楽器に対する知見が足りなくて、サウンドを大きく損なってしまう危険がある。実際、こういうことは日常茶飯事であり、であるからしてリハーサルでの確認とコードの擦り合わせが行われる。

こんなことを10年程度は行って来たが、最近少しづつ考え方に変化があり、メンバー対する資料の渡し方をもう少し抽象的な、隙間を大きくしたものとしたい、と思うようになった。

より演奏家のキャラが前に出るように、そして自分自身の作品に大きな振幅を持たせたいからだ。

そうした時、このコード表記というのはある面、かなり邪魔な存在となる。

メンバーは僕の渡した音から読み取って欲しい。

ガイドとして、簡単な進行表を渡すが、コードは本当にシンプルな表記であり、その音楽の捉え方は、出来る限り自分の耳を通してもらいたい。

音楽は目で見るのではなくて耳で聴くのであり、聴くことがリハーサルの根本であろうと思う。

音楽にルールは必要だが、そのルールの設定は自由なのだ。最初から全てを自由とする即興は経験から先がそれほど広くない。すぐに飽和してしまう。

自分で編み出したルールが新しい音楽を造って行くに違いない。

ということで、今年活動を始めたピアノトリオではこの新しい大らかで、メンバーに裁量を委ねる方法で進めて行きたい。

それが自分にとっても余計な負荷を無くし、最も中心に置きたいピアノ演奏と音使いに気持ちを持って行けるのだ。

早くこのようにすれば良かったのに、、と思う今日この頃であります。