自作*アナライズ

作曲した内容の公開と分析です。参考となる部分があったら嬉しいです!

ピアノと譜面机の角度は90°

ピアノを弾いて作曲する。

そしてそれを五線譜に書き留める。

このシンプルな動作が理想なのかも知れない。

 

武満徹さんの写真。

アップライトピアノと譜面を置く机が90度の角度で置かれている。

そのレイアウトが特長的かつ説得力が在る。

おそらくは、、、

ピアノに立てかけた譜面で、どんどん書き付けて行き、後々精査確認しつつ机で書き直ししていたのだろうか。

何しろそこにこの偉大な作曲家の流儀みたいなものを感じずにはいられない。

ところが僕の場合は、何しろ時間と場所がない。

そして、バンドに資料を持って行くという目的がある。

また、長きに渡りDAWを記録媒体として作曲して来た。

その場合、作曲作業において(個人的に)重要なポイントは2つあります。

ひとつは使用するステージピアノ

そしてクリック使用に関して。

DAWは横に時間軸(小節数)、縦にトラック(つまりは楽器要素)が用意される。

このシーケンサーを原点(本当の原点というならクセナキスの考えた数理的な作曲法になるのかも知れない。)とした設計は特殊なソフトは別として、どのメーカーも同じ形式を採っている。

違うのは用意されているソフトシンセの内容とか、音質的なところ、音楽家によっては譜面機能に付いては随分違うと感じているかも知れない。

実際、譜面ソフトは別に用意している音楽家も少なくない。昨年までやっていたユニットではドラマーと僕以外は皆何らかの譜面ソフトを使っていた記憶がある。フィナーレとか、シベリウスとか。

さて、実際作曲して行くにあたって殆どの音楽家は、クリックを設定し小節線に沿って弾いていくものだと思う。

僕も長くその通りにやって来た。それは単体のMC500からコンピュータに移行しNEC「98」しリーズ(ご存知でしょうか?)を使っていた頃から当然のように何を疑うこともなく、そのようにしてやって来た。シーケンサーの基本には譜面が深く関係している。というか譜面の概念がなければシーケンサーは成り立たないだろうと思う。ソフトはあくまでもツールとして在るだけで、譜面の世界というのは全く揺るがない。

それだけ譜面というのは完成されているのだ。譜面が未だ苦手な自分としては半分苦い思いでこれを書いているのだけれど。

しかし、今年から始めたピアノトリオでは、その方法に疑いを持つことになってしまった。ソロパートが有機的に変容して行ったり、ルールがその場の状況で別なものになったりというところが多く、完全な即興ではないのに何かしらルールがあり、そしてテンポも存在している。振幅が大きく、DAWを使うのが馴染まない。

というかDAWの使い方に影響が出ているという言い方が正しいか。

それはドラマーによるところが大きい。

これまでご一緒したドラマーとは持っているリズムの揺れ、アプローチが違う。

ピアノに対する彼の考えは、フレーズに則したものであり、よって一定に同じ刻みをするものではない。例えライドシンバルで刻んでいたとしても、それは今迄とは違う馴染みの無いものだった。

つまり、彼の基本線はジャズから来て、そして今も深化している。

コルトレーンであるとか、マイルスであるとか、その時代でアプローチしたドラマーから得たところを基本としている。

勿論、使う機材も音楽に対する考え方も新しく、違うところもあるが、音楽を主導するピアノであるとか、ギターであるとか、そういった中心線に最大公約数的に近づき同化しようとするドラムだ。

8小節在ったら、そこをただ単に刻んでいるというのとはわけが違う。彼のドラムは絶えず大きな変化を伴う。

そういったドラマーとご一緒する場合、ではどういった段階を踏んで作品を成立させるか?と言ったところで、まず邪魔になるのがクリックである。

作品をまずは白紙から起こしていく場合になるが、このクリックは基本無しということになる。クリックが在ったのでは僕のピアノ音楽が有機的かつダイナミックなものにならない。平坦で無機質な音楽をねらうのであれば、それでも良いが、このピアノトリオはそれとは正反対のところを着地点としている。

音楽としては温かく、幹の太いものだ。それでいて流麗で大きな推進力を感じさせるような難しいところをねらっている。

こうして一度リハーサルを行い、ライブを行うと意見が出て来る。

ソロに向うところがハッキリしないとか、そこをもう少しアレンジを施した方がいいとか、、何となく「このようになりました」というようないい加減なところを潰して行こうというのである。ただ「何となくこうなりました、、という音楽は駄目!」と言い切るのも問題がある。音楽はそういう何となくというところに面白いセンスが隠れていたりするものなのだ。それはやっている音楽家よりも聴き手の方が気付いて面白がったりするものである。

兼ねてから強く感じるところだが、演奏する音楽家よりも聴き手の方がずっと位は上なのである。

この時、最初に打込んだクリック無しのデータから梃子入れを行うことになるのだが、当然そのままの方が良いという部分が大半であり、メスを入れるところはタイミングが難しいところもある。

しかし、ここで遂にDAWの本領が発揮される。とてつもなく細かなところ、クリックを利用するところ、尺を突き詰めて範囲設定する時に利用する数値的なイベントリストと拍子設定等、あらゆるファンクションを駆使することになる。

昨日丸一日かけてその作業を行い、ようやく全体としてカタマリとして聴けるように修正したのだが、こう言う作業はやはりDAWでないと出来ない。

スタート時:クリックは使わない。小節数無視

修正時:あらゆるファンクションを駆使して音楽内容の精査と梃入れに使う。

この段差は笑えるほど凄い。

しかし、ツールの使用に正解などないのだ。

マニュアルに「本DAWはこのように使うべき」という一行は何処にも見当たらない。

そりゃそうだ。ツールは僕のような音楽家であっても、その僕となって働いてもらわないといけない。「少しは金になる音楽でも書けば?」というボヤキが聞こえて来そうだけれど。

僕の使い方は実に限定的でシーケンサーに偏っていると思うが、譜面を書く日が再び訪れるまではコレで行くのだと思う。

時折庭先に来る雀やたまに猫ちゃんを見ながら譜面を書くのが音楽らしいし、長閑でイイとは思うのだけれど。

そしてその時のレイアウトはピアノと譜面机が90度で置かれるというミーハーなものであるかも知れない。

武満さんは僕のヒーローみたいなものなので。